メッセージ:心は孤独な狩人
聖 書:ヘブライ人への手紙 12章7〜11節
讃 美 歌:532番「やすかれ、わがこころよ」1、2節
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標語 『主イエスの道を歩こう』
わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
(ヨハネによる福音書14章6節)
1.ハクション大魔王
私たちが外出する際には、マスクが欠かせなくなりました。私などは、スーパーに買出しに行こうと、ドイツ陸軍放出品の背嚢を背負い、「戦車兵の歌/Panzerlied」を歌いながら、勢い良く家を飛び出したものの、権之助坂に上がる途中で、マスクをしていないことに気付いて、すごすごと退却したことの、何度あったことでしょうか。
スギ花粉アレルギーや寒暖差アレルギーを持っているくせに、私はマスクが大の嫌いで、滅多に着用しませんでした。勿論、インフルエンザの季節に、入院中の会員、高齢の会員をお訪ねする際には、必ずマスクを着けて行きましたが、プライベートでは、酷いクシャミに悩まされながらも、どれくらい遠くまでハクションが響くか、何メートル飛沫を飛ばせるか、それを楽しんでいたようなところがありました。
ところが、そんな私が今では、マスクを2枚重ねで着用しているのです。下には使い捨ての「不織布マスク」(この「不織布」という語も最近漸く発音できるように成りました)、その上にデザイン物の布マスクです(こちらは洗って再使用できます)。しかしながら、2枚重ねで着用していると、さすがに息が切れるのです。
最近では、暑さと湿気の余り、禿げ上がった額から汗が滴り落ちるように成りました。帰宅して、マスクを外したら、口髭から湯気が立ち上っていたこともありました。このまま行くと「熱中症」でダウンするのは火を見るよりも明らかです。聞くところによると、夏向けに保冷剤を入れる「ひんやりマスク」「冷やしマスク」も販売されたとの由。千円以上する高額商品ですが、今夏の必須アイテムに成りそうです。
2.マスクの裏の事情
さて「マスク」と言えば、思い出されるのが、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の名曲「ビハンド・ザ・マスク/Behind the Mask」です。つい先日、同じくテクノポップを代表する「クラフトワーク/Kraftwerk」の創設者、フロリアン・シュナイダー(Florian Schneider)が亡くなって、ラジオから「アウトバーン/Autobahn」や「ヨーロッパ特急/Trans-Europa Express」「ロボット/Die Roboter」が流れていました。それを耳にして、自然に、日本のYMOが思い出されたのでした。
「ビハンド・ザ・マスク」は、YMOの2作目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー/Solid State Survivor」(1979年)のB面1曲目に入っていた楽曲です(クリス・モズデル作詞/坂本龍一作曲)。1986年には、エリック・クラプトンが「オーガスト/August」の中でカヴァーしています。それに先立つ1982年に、かのマイケル・ジャクソンもまた、自身が別の歌詞を付けてカヴァー録音しています。アルバム・プロデューサーのクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)の推しで「スリラー/Thriller」に収録されるはずが、なぜかボツに成り、結局、死後に発表された未発表楽曲集「マイケル/Michael」(2010年)で、私たちは初めて聴くことが出来た訳です。勿論、坂本がセルフカヴァーした12インチシングル(1987年)も忘れてはなりません。
「今あなたが着けている仮面(マスク)は/無表情で毛羽立っている/皺と涙、年齢と怖れ/年老いて行けば情熱も冷める/それは私?それとも、あなたか?/仮面の裏側で、私は尋ねる」。そんな歌詞です。「仮面/マスク」はケバい化粧のことだと言う人もいます(何しろ、1980年代後半はバブル期でしたから)。しかし、この楽曲が生まれた1970年代末の日本社会は閉塞感の方が強く、素直に感情や信条を表面に出せない、管理社会が到来することを警告していたように、私は感じています。そもそもアルバム名の「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」には「全体主義的国家体制(あるいは管理社会)の中で生き残れるか!?」的な含みがありました。謂わば、ジョージ・オーウェルの『1984』的デストピア(暗黒郷)が表現されていたように思います。
3.素顔じゃない社会
これから私たちは、全く予想もしなかった形で「ビハインド・ザ・マスク」生活をしなければならないかも知れません。これまでも外出の際にはマスクを着用する人は大勢いました。しかし、医療や衛生、食品に携わる人はともかく、殆どの人は職場や学校、現場に着けば、素顔でいることが出来たのです。マスク着用が義務付けられる職場でも、休憩時間とも成れば、マスクを外して同僚と歓談できたのです。
これからは、他人(特に複数の)と接する時、マスク着用がエチケットに成るでしょう。私たちは素顔を隠したまま、社会生活をすることに成ります。YMOと同じ1970年代末に、ビリー・ジョエル(Billy Joel)は「I love you/Just the way you are//素顔のままの君が好きなのさ」と歌いました(私のカラオケの持ち歌でもあります)が、これからは、中々お互いの素顔を見られなくなるのでしょう。もしかしたら、余程、親しい間柄でない限りは「Zoom」「Line」「Skype」等の通信画像を通して、初めて素顔に接する等という、寂しい事態にも成り兼ねません。
キリスト教会も他人事ではありません。讃美歌を唱和する時、詩編を交読する時、主の祈りや使徒信条を唱和する時、しばらくはマスクを着用せざるを得ません。それは、いつまで続くのでしょうか。共に聖餐や愛餐に与る日は、いつ来るのでしょうか。その内、司式者の礼拝祈祷も、牧師の説教も「マスク着用で」と言われるかも知れません(既に講壇にはプラスチックシールドを設置しています)。
所謂「口角泡を飛ばして」の熱弁振るう牧師のイメージも、今や過去のものに成りつつありますが、これを機に本当に消滅してしまうかも知れません。
牧師 朝日研一朗
【2020年6月の月報より】
明日5月10日は母の日です。
ことしの母の日は、CSのおともだちはおうちですごします。
日曜日の朝、礼拝堂では朝日先生がお一人でお祈りしています。 母の日のカーネーションも礼拝堂で咲いています。
CSのおともだちが、みんな元気ですごせますように。 早くみんなであつまって、こどもの礼拝ができますように。 おかあさんのようなイエスさまにお祈りします。
1.散らされて
聖書学には「ディアスポラのユダヤ人」という語がよく出て来ます。一般には馴染みの薄い語ですが、「ディアスポラ/Diaspora」とは、ギリシア語で「散らされている者」という意味です。パレスチナ以外の土地に移り住んでいるユダヤ人を言います。
旧約続編「マカバイ記U」1章27節に「(主よ、)離散した同胞を集め、異邦人のもとで奴隷にされている者たちを解放し、虐げられ、疎まれている者たちにも心を配ってください」という祈りが綴られていますが、「七十人訳聖書/Septuaginta」(紀元前1世紀頃に完成したギリシア語「コイネー/ヘレニズム帝国の公用語」訳)には、この「離散した同胞」が「ディアスポラ」という語で表現されています。
アッシリア帝国、新バビロニア帝国による「捕囚」政策によって、メソポタミア地方に連れ去られた民がありました。また、王国の滅亡に際して、難民としてエジプトに逃れた者たちがナイル川上流やアレクサンドリアに移住したと言われています。ペルシア帝国やヘレニズム(ギリシア)帝国の時代には、シリアや小アジア(トルコ)各地、遠くカスピ海にまで移住させられた者たちもいました。そして、紀元1〜2世紀、ローマ帝国に対して、何度か叛乱を起こしたものの、その都度、鎮圧され、その挙句、遂に5世紀には、パレスチナから殆どのユダヤ人は追放されてしまったと言われています。
「使徒言行録」2章には「エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人」が、聖霊に満たされた弟子たちによって「自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった」と書かれています。あれこそ、巡礼にやって来た「ディアスポラのユダヤ人」に他なりません(中には、ユダヤ人ではない、異邦人からの改宗者もいたみたいですが…)。
2.集められて
しばしば、教会は「呼び集められた者の群れ」であると言われます。これは、旧約聖書に言われる「会衆」という語(ヘブライ語の「カーハール」)を読み砕いたものです。これが先程の「七十人訳聖書」では「エククレーシア/召集された市民の集会、議会」というギリシア語に翻訳され、そのまま、ラテン語に転訛されて「エックレーシア/ecclēsia」は「教会」という意味で使われるように成ったのです。
私たちの教会は「組合教会」、即ち、英国、米国の「会衆派」の流れを汲むものですが、「会衆派教会/Congregational Church」の「会衆/Congregation」という語もまた、ラテン語の「congregātiōnes/共に集まれし者」に由来します。動詞「con-gregō/コングレゴー/集める、結合する」⇒「grgēgō/グレーゴー/呼び集める、召集する」に至るのです。
それ故に「会衆」あっての「教会」と申すことが出来るでしょう。従って「会衆」不在の状態、「集会」を呼び掛けることの困難な状況は、教会にとって「死」を意味します。カトリック教会の「非公開ミサ」(一般信徒には閉じられたまま、聖職者のみで聖体祭儀を行なう)、プロテスタント教会の「無会衆礼拝」(教職のみで礼拝を行ない、それをネット配信する)の試みを頭から否定するつもりはありませんが、それを「公同の礼拝」とするのは、残念ながら「嘘も方便」の域を出ません。
この点に関しては、言い逃れ出来ません。「呼び集められた群れ」、即ち「会衆」が存在しない今、教会は死んだも同然、もはや死に体なのです。私たちの教会は勿論、どんな大規模教会も(聖イグナチオ教会であれ、聖マリア大聖堂・関口教会であれ、ルーテル市ヶ谷教会であれ、聖公会聖アンデレ教会であれ)、礼拝を休止している教会は死んだのです。しかしながら、会衆の誰か、あるいは、その家族や友人の誰かを死の危険に晒すことを潔しとはしなかったのです。その意味では、主の十字架と同じく「死に渡された」と言えましょう。
3.散り行く光
ところで、私たちが「教会」として「呼び集められる」のは、再び「散らされる」ためだと主張する人もいます。現代を生きるキリスト者は「散らされる」という語を、より積極的な意味で捉え直そうとしています。
例えば、「使徒言行録」には、「ステファノの殉教」に端を発する、新たな宣教の展開が描かれています。8章1節「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った」のですが、4節「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」と続きます。エルサレム教会の弾圧によって信徒たちが「散らされて行った」結果、サマリアでの宣教が始まるのです。
私たちの教会は「迫害、弾圧」を受けている訳ではありませんが、教会というものは、そもそも「呼び集められ」、また「散らされて行く」ものだと言えるのです。そこには「宣教」(主の御言葉、主の御心を宣べ伝える)という目的があるのです。すると、すかさず「このウイルス禍こそは、家族伝道の絶好のチャンスです!」と、能天気な牧師なら言うでしょう。ドナルド・トランプ並みの(かなり危険な)楽天的エゴイズムです。
迫害と弾圧は、恐らく、当時の「エルサレム原始教会/Primitive Church of Jersalem」に、破滅と言っても良い程の打撃を与えたと思うのです。エピファニオス(サラミスの主教)によると、4世紀初頭まで残存していたそうですが、次第に衰退して行ったのに違いありません。しかし、そこから「散って行った人々」が新しい教会を作って行ったのです。
それは丁度、倒れて朽ち行く樹木を苗床として、そこから新しい芽が生まれていったようなことでは無かったでしょうか。自分が肥え太るのではなく、自分自身が肥やしに成って、新芽を育てる、そのような大きな循環(自然サイクル)を見る思いがします。
牧師 朝日研一朗