2020年06月30日

7月第1主日礼拝

       7月 5日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”神さまの宿題はレポート音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  ローマの信徒への手紙 10章14〜21節(p.288)
讃 美 歌  27、138、490、226、405、28
交読詩篇  詩編126編1〜6節(p.147)

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2020年06月29日

木が歩いているような…【マルコ8:22〜26】

聖句「すると、盲人は見えるようになって、言った。『人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。』」(8:24)

1.《歩く木》 中南米の熱帯雨林には「歩く椰子の木」があるそうです。幹から突き出た「支柱根」が日向で成長し、日陰は枯れるので、結果的には年10センチ程移動しているのです。ガジュマルの「気根」も同じです。トールキンの『指輪物語』の森の番人エント、ウィンダムの『トリフィド時代』の食人植物など、ファンタジーの世界では「歩く木」が登場することがあります。

2.《木の人》 本田哲郎神父は、この盲人の言葉を「人たちが見えます。木のようなのが歩いているのが分かります」と訳して居られます。少しユーモラスですが、この盲人の人生の苦難を思えば、滑稽とまでは言えません。奇跡の舞台は、ベトサイダの「村の外」ですから、彼が目撃した「木のような人」は野良仕事から帰る農民、旅人の一行だったのかも知れません。ベトサイダは「町」とも「村」とも言われる規模の集落でした。この盲人が視力の回復途上で目にした何かも「人」とも「木」とも映り、その違いは曖昧だったのでしょう。

3.《旅の人》 「どうしてイエスさまは一発で癒して上げられなかったのか?」と呟く人がいますが、見えなかった目が少しずつ見えるようになる、このプロセスにこそ、この奇跡のリアリティがあると思います。「見る」の動詞もギリシア語で4種類も使われていて「見る」にも色々あるのです。「木を見て森を見ず」と言いますが、私たちが見落とす事柄も多いのです。星野道夫の『旅する木』では、トウヒの種子が大木となり、流木となり、薪として燃やされ、灰として大気を漂い…、そんな壮大な旅が紹介されています。私たちは永遠に生きられる訳ではありませんが、私たちも永遠の時の中で生かされているのです。

朝日研一朗牧師

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2020年06月23日

6月第4主日礼拝

       6月28日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”木が歩いているような…音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  マルコによる福音書 8章22〜26節(p.77)
讃 美 歌  27、350、490、340、289、26
交読詩篇  詩編37編23〜29節(p.44)

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2020年06月22日

いちばん大事なものは何?【ルカ16:1〜13】

聖句「不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。」(16:11)

1.《盗賊と義賊》 盗賊は他人の財産を盗む犯罪者、悪党です。しかし、民衆から「義賊」として称えられる者たちもいます。「梁山泊」頭目の宋江、鼠小僧次郎吉や石川五右衛門、デリンジャー、女盗賊プーラン等です。フィクションの世界では、ロビン・フッド、ルパン、怪傑ゾロが思い出されます。彼らが「義賊」と呼ばれるのは「弱きを助け、強きを挫く」からに他なりません。

2.《マモン洗浄》 この「いんちきマネージャー」も悪党です。金持ちの主人から預かっている財産を横領、嘘の会計報告をしたことがバレたのです。その時に彼が取った行動は、主人の債務者から利息を棒引きすることでした。「不正にまみれた富/マモン」を「喜捨」によって清めたのです。それによって、主人の債務者たちに恩を売って、解雇された時の備えをしたのみならず、主人の持つ「不正にまみれた富」を「資金洗浄/マネーロンダリング」したのです。だからこそ、更なる損失を被った主人が、彼の「抜け目ないやり方」を褒めているのです。

3.《富の使い道》 同胞から利息を取ること自体が「不正」なのです。その「不正にまみれた富」が「いんちきマネージャー」の機転によって「真の富」「本当に価値あるもの」へと変えられたのです。「小事に忠実な者は大事にも忠実なり」と言われますが、「小事」とは、正しい「富の使い道」、困窮者を助けるという信仰者としての義務を意味します。「大事」は、天地万物を創造された神さまのことです。コロナ禍によって休業を余儀なくされた中小企業や店舗、個人事業者が悲鳴を上げていますが、他方「持続化給付金」は一部の企業や天下り役人によって中抜きされています。権力による搾取そのものです。

朝日研一朗牧師

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2020年06月16日

6月第3主日礼拝

       6月21日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”いちばん大事なものは何?音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 16章1〜13節(p.140)
讃 美 歌  27、350、364、370、26
交読詩篇  詩編37編23〜29節(p.44)

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2020年06月15日

おめで鯛の尾頭付き【マタイ7:7〜12】

聖句「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。」(7:9,10)

1.《ダラバ?》 NHKで『夢食堂の料理人』という単発ドラマがありました。1964年の東京五輪の選手村に出来た「富士食堂」が舞台です。世界各国から集まった7千人の選手団に食事を提供するために、日本各地から招聘された3百人のコックが悪戦苦闘します。主人公のコックが、ホームシックのアフリカ選手を励ますために、チャドの郷土料理「ダラバ」に挑戦するのでした。

2.《色々な魚》 その魚料理にはティラピアを使いますが、当時、日本に無かったので、マダイを代用していました。福音書のペトロゆかりの魚とされるのが、そのティラピア(カワスズメ)です。ガリラヤ湖には他にも、ユダヤ教徒が安息日に食べるニゴイ、大量に網に掛かるイワシの仲間があります。「魚を欲しがる我が子に、蛇を与えるバカ親がいるか?」と、イエスさまが仰るのは、ガリラヤ湖のナマズが蛇のように長かったことからの類推とされます。鱗や鰭の無い魚は、旧約の律法で食べることを禁じられていたのです。

3.《パンと魚》 似ていると言うなら、当時のパンはフスマを除いていませんから色も黒く、丸いので石ころのようでした。パレスチナは石ころだらけの土地です。でも、親がパンと石、魚と蛇を間違って、子に与えることはありません。同じく天の神さまも、求める人たちには「良い物」をくださいます。思えば、パンも魚も、イエスさまのシンボルでした。大切なのは、探し求める心、諦めないでドアを叩き続ける根性です。それを育むのが、キリスト教の祈りです。誰でも最初からある訳ではありません。子どもも大人も同じ、「三匹の鯛」の喩えの通り、褒められ認められて、自信とやる気が養われるのです。

朝日研一朗牧師

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2020年06月14日

子どもの日・花の日

今日は子どもの日・花の日礼拝でした。

礼拝の中で奏楽者任職式も執り行われました。

60600614子どもの日・花の日

こどもの礼拝は次週6/21(日)から再開します。

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2020年06月11日

次週「聖書と祈りの集い」休会のお知らせ

2020年6月17日(水)の「聖書と祈りの集い」は朝の部・夜の部共に休会となります。   
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2020年06月09日

6月第2主日礼拝(子どもの日・花の日)

       6月14日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”おめで鯛の尾頭つき音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 7章7〜12節(p.11)
讃 美 歌  27、350、62、68、T−512、26
交読詩篇  詩編37編23〜29節(p.44)

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2020年06月08日

命は人間を照らす光【ヨハネ1:1〜5】

聖句「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」(1:4)

1.《無から有を呼ぶ》 「創世記」の天地創造は「初めに、神は天と地を創造された」と語り始めます。前口上など無く、何も無い所から、いきなり始まります。「やつらの足音のバラード」(園山俊二作詞、かまやつひろし作曲)を彷彿させます。そのことを、パウロは「無から有を呼び出される神」(ローマの信徒への手紙4章17節)と表現しました。私たちの神は何も無い所から、いきなり世界をお造りになった「創造神」だというパウロの信仰告白なのです。

2.《明日がある世界》 古代ギリシアの時代から「無からの創造/creatio ex nihilo」は哲学のテーマでしたが、アウグスティヌスは「無からは何も生まれない」と言いました。確かに「光あれ」の御言葉によって創造は始まります。但し、この光は陽光や月光ではありません。天体の創造は第4の日です。今日と明日を区別する「時間」が創造されたのです。「明日がある」とか「明日はきっといい日になる」と歌われるように、「明日」は希望の語です。神さまは「明日がある世界」をお造りになった。時間を通して、私たちを救いへと導かれるのです。

3.《光に照らされて》 「ヨハネによる福音書」の言う「初めにあった言(ロゴス)」こそは「光あれ」の御言葉でしょう。キリスト・イエスは「命の言葉」「人間を照らす光」として世に来られました。父なる神による創造の御業、子なるキリストによる贖罪の御業、聖なる霊による救済の御業、この3つは1つと告白するのが「三位一体主日」です。「ペンテコステは教会の誕生日」と言いながら、殊更に世の滅びを語り、審判や選別を強調して、人々の心を脅かすのは、愛の業を託された教会に相応しくありません。「世の光」「光の子」として、暗い世界の一隅を照らしなさいとの主の御言葉に従って参りましょう。

朝日研一朗牧師

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