2020年06月29日

木が歩いているような…【マルコ8:22〜26】

聖句「すると、盲人は見えるようになって、言った。『人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。』」(8:24)

1.《歩く木》 中南米の熱帯雨林には「歩く椰子の木」があるそうです。幹から突き出た「支柱根」が日向で成長し、日陰は枯れるので、結果的には年10センチ程移動しているのです。ガジュマルの「気根」も同じです。トールキンの『指輪物語』の森の番人エント、ウィンダムの『トリフィド時代』の食人植物など、ファンタジーの世界では「歩く木」が登場することがあります。

2.《木の人》 本田哲郎神父は、この盲人の言葉を「人たちが見えます。木のようなのが歩いているのが分かります」と訳して居られます。少しユーモラスですが、この盲人の人生の苦難を思えば、滑稽とまでは言えません。奇跡の舞台は、ベトサイダの「村の外」ですから、彼が目撃した「木のような人」は野良仕事から帰る農民、旅人の一行だったのかも知れません。ベトサイダは「町」とも「村」とも言われる規模の集落でした。この盲人が視力の回復途上で目にした何かも「人」とも「木」とも映り、その違いは曖昧だったのでしょう。

3.《旅の人》 「どうしてイエスさまは一発で癒して上げられなかったのか?」と呟く人がいますが、見えなかった目が少しずつ見えるようになる、このプロセスにこそ、この奇跡のリアリティがあると思います。「見る」の動詞もギリシア語で4種類も使われていて「見る」にも色々あるのです。「木を見て森を見ず」と言いますが、私たちが見落とす事柄も多いのです。星野道夫の『旅する木』では、トウヒの種子が大木となり、流木となり、薪として燃やされ、灰として大気を漂い…、そんな壮大な旅が紹介されています。私たちは永遠に生きられる訳ではありませんが、私たちも永遠の時の中で生かされているのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:55 | 毎週の講壇から