2020年07月27日

み名があがめられますように【使徒言行録19:11〜20】

聖句「このことがエフェソに住む…人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。」(19:17)

1.《主の祈り》 コロナ禍の時代に入り、今や礼拝出席が「信仰の砦」と言い切れなくなって参りました。集会そのものに不安を感じる人がいる状況の中、キリスト教信仰の「最後の砦」と言えるのは「主の祈り」です。私たちの祈りと願いは各人多様です。クリスチャンと言えども、教派によって信条は異なります。しかし「主の祈り」を唱えるという一事だけは変わらないのです。

2.《皆の祈り》 17世紀の魔女裁判では「主の祈り」が唱えられず処刑された人もいました。こうなると命懸けです。前半の「御名・御国・御心」を求める祈りの中では、地上での「御国の完成」「御心の成就」は遠いかも知れません。しかし「御名」をあがめることだけは日常的に出来ることです。私たちの礼拝がそうです。また、未信者や他宗教の人であっても、教会の業に賛意を示したり、協力してくださるなら、即ち「御名」があがめられているのです。エフェソの住民たちがそうでした。「御名の祈り」こそは「皆の祈り」なのです。

3.《神を仰ぐ》 「あがめる」は「メガリュノー」の受身「大きくなる」です。「主の祈り」の「あがめる」は「聖とする」、「テサロニケの信徒への手紙U」では「栄光を帰する」という動詞が使われています。しかし、その心は1つです。私たちの名ではなく、神さまの御名こそが賛美されますようにとの祈りです。パウロの時代にも、イエスさまのお名前を利用して悪魔祓いをする祈祷師たちがいました。今も主の御名を利用して、教祖を飾ろうとする新興宗教やカルトは後を絶ちません。「仰げば尊し我が師の恩」と歌われます。儒教です。米国の歌集にある原曲では、主の御もとでの再会を約束する歌なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から