聖句「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。」(6:20,21)
1.《お幸せに》 結婚式や披露宴の際に、新郎新婦に向かって「お幸せに」とお祝いの言葉を掛けたり、祝辞を申し述べたりします。「いつまでも仲良く、お幸せに」との意味でしょうが、結婚が幸せとイコールとは限りません。結婚情報誌の「ゼクシィ」が「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」と新婦が宣言するCM(2017年)を発表しました。結婚についての意識変化と共に幸福観の多様化を見る思いがしました。
2.《神の勝手》 イエスさまも「お幸せに」と仰っています。「貧しい人々は幸いなり」「飢えている人々は幸いなり」「泣いている人々は幸いなり」です。やがて運命の大逆転が起きて、飢えている者は満たされ、泣いている者は笑うようになるからです。「神の国、天の国」の「報い/ミストス」は「賃金、給料」という即物的な語ですが、そこから「葡萄園の労働者」の譬え話が思い出されます。資本主義や功利主義とは真逆の価値観で、主が一人一人に報いてくださるのです。何故かと問われれば、神が「自分のものを自分のしたいようにする」だけなのです。神は慈しみ深い御方なので、貧しい人たちを見過ごしに出来ないのです。
3.《神の招待》 「幸いである」に対応して「不幸である」があります。これは「災いなるかな」という呪詛です。「富んでいる人々」「満腹している人々」「笑っている人々」は「報酬」を前借してしまっているのです。未来の子孫を思わず、自らが便利さと快適さを享受するため資源を浪費し、負の遺産を残す現代社会の在り方を連想します。妖怪「アマビエ」は災いを警告する不吉な前兆でしたが、庶民の間で疫病除け、厄除けの守り神になりました。イエスさまの呪詛もまた、私たちが悔い改めることで、事前に災いを食い止め、私たちを正しい道へと導くためのものです。己の幸せのみ求めるのではなく、誰が一番に「神の国」へと招かれているか考えましょう。それが「天国への招待状」です。
朝日研一朗牧師