2020年08月31日

幸せになろうよ【ルカ6:20〜26】

聖句「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。」(6:20,21)

1.《お幸せに》 結婚式や披露宴の際に、新郎新婦に向かって「お幸せに」とお祝いの言葉を掛けたり、祝辞を申し述べたりします。「いつまでも仲良く、お幸せに」との意味でしょうが、結婚が幸せとイコールとは限りません。結婚情報誌の「ゼクシィ」が「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」と新婦が宣言するCM(2017年)を発表しました。結婚についての意識変化と共に幸福観の多様化を見る思いがしました。

2.《神の勝手》 イエスさまも「お幸せに」と仰っています。「貧しい人々は幸いなり」「飢えている人々は幸いなり」「泣いている人々は幸いなり」です。やがて運命の大逆転が起きて、飢えている者は満たされ、泣いている者は笑うようになるからです。「神の国、天の国」の「報い/ミストス」は「賃金、給料」という即物的な語ですが、そこから「葡萄園の労働者」の譬え話が思い出されます。資本主義や功利主義とは真逆の価値観で、主が一人一人に報いてくださるのです。何故かと問われれば、神が「自分のものを自分のしたいようにする」だけなのです。神は慈しみ深い御方なので、貧しい人たちを見過ごしに出来ないのです。

3.《神の招待》 「幸いである」に対応して「不幸である」があります。これは「災いなるかな」という呪詛です。「富んでいる人々」「満腹している人々」「笑っている人々」は「報酬」を前借してしまっているのです。未来の子孫を思わず、自らが便利さと快適さを享受するため資源を浪費し、負の遺産を残す現代社会の在り方を連想します。妖怪「アマビエ」は災いを警告する不吉な前兆でしたが、庶民の間で疫病除け、厄除けの守り神になりました。イエスさまの呪詛もまた、私たちが悔い改めることで、事前に災いを食い止め、私たちを正しい道へと導くためのものです。己の幸せのみ求めるのではなく、誰が一番に「神の国」へと招かれているか考えましょう。それが「天国への招待状」です。

朝日研一朗牧師

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2020年08月25日

8月第5主日礼拝

       8月30日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”幸せになろうよ音楽        朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 6章20〜26節(p.112)
讃 美 歌  27、428、490、90、153、29
交読詩篇  詩編68編1〜11節(p.75)


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2020年08月24日

我々はどこにいるのか【創世記3:1〜13】

聖句「アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。『どこにいるのか。』」(3:8,9)

1.《方向音痴》 私は方向音痴です。自分が今どこにいるのかを見失い、分かれ道や曲がり角を間違えて、とんでもない所に行ってしまいます。カーナビが付いて以後も遠回りをしてしまいます。しかし『相棒』の水谷豊、歌手のGackt、野球のイチロー選手、「2時間ドラマの女王」片平なぎさ等の方向音痴ぶりも有名です。自分の立ち位置を見失うことは、人生の大きなテーマでもあります。

2.《悲憤梗概》 神さまはアダムに「あなたはどこに?」と尋ねられました。神さまが見失ったのではありません。アダムは神さまとの約束を破り、信頼を裏切ることで、関係が失われてしまったのです。刑事が犯罪者の隠れ家に踏み込もうとしているのではありません。アダムの隠れている所等、神は先刻御承知です。ヘブライ語の「どこに?/アイェーカー」は「哀歌」冒頭の「何故に?/ああ哀しいかな!/エーカー」と全く同じ4文字から成っています。主なる神は、アダムが丸裸にされて、所在無く隠れている姿、そんな哀れな人間の姿を見て「どうして、こんな事に…」と嘆いて居られるのです。

3.《永遠の命》 呼び掛けに応えて、アダムの方から姿を現わして欲しいという願いが込められているのです。アダムが食べてしまった「善悪の知識の木」とは「命の木」との対応から「死の木」ではないでしょうか。「秘密の知恵」は神の御もとにあるべきだと「申命記」は言います(29章28節)。「エデンの園」では、判断を下すのは神さまでした。しかし、人間が自分勝手に善悪の判断を下すようになってしまったのです。それは数多の死と災いをもたらしています。しかし、後戻りは出来ません。イエスさまは、神の愛の呼び掛けに「私はここにいます」と応えることの中に「永遠の命」に至る道があると示されました。

朝日研一朗牧師

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2020年08月23日

教会の外の掲示板

教会の外の掲示板の「言葉」が変わりました。

20200823掲示板
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2020年08月18日

8月第4主日礼拝

       8月23日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”我々はどこにいるのか音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  創世記 3章1〜13節(p.3)
讃 美 歌  27、428、490、362、205、29
交読詩篇  詩編68編1〜11節(p.75)
※役員任職式

讃美歌練習(9月の月歌:139番)   礼拝後    礼拝堂

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2020年08月17日

英霊のお値段【イザヤ26:12〜19】

聖句「塵の中に住まう者よ、目を覚ませ、喜び歌え。/あなたの送られる露は光の露。/あなたは死霊の地にそれを降らせられます。」(26:19)

1.《花森安治》 NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』には「暮らしの手帖」の名物編集長、花森安治が登場しました。日本のコピーライターの草分けで、戦前は大政翼賛会の外郭団体で活躍しましたが、戦後は言い訳めいたことは発言せず、ひたすらに暮らしの中にある「気付き」を掘り起こして行きました。各人の暮らしを大切にすることが「平和への道」だと確信していたのです。

2.《靖国神社》 花森自身も徴兵されて満州に行きました。その時の経験を「見よぼくら一銭五厘の旗」という散文詩に綴っています。教育係の軍曹から「貴様らの代りは一千五厘で来る/軍馬はそうはいかんぞ」と怒鳴られたと言うのです。召集令状の郵便料金、今なら84円です。軍馬どころか「軍人勅諭」には「死は鴻毛(鵬の羽毛)よりも軽しと心得よ」と教えられています。青春を「一銭五厘」で消耗された若者たちの悔しさと怨みを覆い隠すために、国家が「鎮魂ショー」を行なう、それが靖国神社なのです。死して尚、国家は利用するのです。

3.《死霊復活》 この「イザヤ書」の預言は、祖国が外国の支配下に置かれている中で、ある信仰者がそれでも尚、神の支配を信じて、平和を求める祈りです。古代ユダヤ教では、死者は陰府に入って、虚ろな影のような存在に成ると考えられていました。米軍と戦った靖国の「英霊」もまた無力にされ、今や米国のお追従をする政治家たちに利用されるだけです。死して尚、愚弄され凌辱されているのです。しかし、神さまは「死霊」のように無力な存在とされている捕囚の民にも「光の露」を降らせて、再び命を与えてくださるのです。主なる神は、現代日本に生きる私たちにも「光の露」を送ってくださるはずです。

朝日研一朗牧師

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2020年08月11日

8月第3主日礼拝

       8月16日(日) 午前10時30分〜11時30分
平和メッセージ   ”英霊のお値段音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  イザヤ書 26章12〜19節(p.1099)
讃 美 歌  27、428、490、238、418、29
交読詩篇  詩編68編1〜11節(p.75)

・・・当日の音声録音を聴く
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2020年08月10日

エルサレムの石【ルカ19:37〜44】

聖句「イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら…。』」(19:41,42)

1.《難民と詩人》 パレスチナの女性詩人、ファドワ・トゥカンは「わが主よ/エルサレムが苦しみに喘いでいるのに/世界の沈黙はいや長く/太陽の眼が抉られたというのに/世界は石のように、それを見ようとしない」と歌いました。1948年、イスラエルの侵略によってパレスチナ難民が発生しました。しかし世界中が見て見ぬ振りをしたのです。

2.《スローガン》 シオニストは戦争を仕掛けて、住民を虐殺し追放して、土地を奪い取り「イスラエル建国」を宣言しました。「世界が石のように」沈黙して、パレスチナの悲劇を見ようとしない理由の1つに旧約聖書の存在があります。欧米人はパレスチナ地方に無関心な上、聖書の生半可な知識が災いして「エルサレムはユダヤの都」と反応してしまうのです。シオニストが「土地なき民に、民なき土地を」のキャンペーンを始めた時、パレスチナには誰も住んでいないと、欧米の教会は真に受けてしまったのです。しかし、そこには、2千年前からパレスチナ人が暮らしていたのです。

3.《平和への道》 イエスさまの「エルサレム入城」を迎えた弟子たちは「ホサナ」と叫んだと言われていますが、「ルカによる福音書」には「ホサナ」の代わりに「天には平和、/いと高きところには栄光」と、クリスマスの天使を思わせる賛美が歌われます。けれども、クリスマスは「地に平和」だったはずです。「エルサレム」の名も「平和」を意味する名前ですが、そこで主が十字架に磔にされて殺されるのです。「平和への道」は沈黙することでも、投石することでもありません。イエスさまの「涙」を胸に刻みつつ、人の暮らしを守るための「石」を積み上げることです。

朝日研一朗牧師

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2020年08月04日

8月第2主日礼拝

       8月 9日(日) 午前10時30分〜11時30分
平和メッセージ  ”エルサレムの石音楽   作:朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 19章37〜44節(p.147)
讃 美 歌  27、428、490、308、578、29
交読詩篇  詩編68編1〜11節(p.75)


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2020年08月03日

神の言葉は鎖に繋がれない【Uテモテ2:8〜13】

聖句「この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。」(2:9)

1.《平和を祈る日》 8月15日は天皇の終戦詔勅が発布された日に過ぎず、実際の戦闘は8月末まで続いていました。沖縄(6月23日)、広島(8月6日)、長崎(8月9日)と祈念する日には地域による時差があります。教団は8月第1主日を「平和聖日」としましたが、カトリック教会の「世界平和の日」は1月1日、国連の呼びかける「国際平和の日」は9月21日です。

2.《使徒は辛いよ》 大切なのは、平和を祈り求め、平和を作り出していくことです。ある教会の牧師が「平和を作り出す人たちは幸い」と説教の表題を付けたら、看板の奉仕者が間違って「平和を作り出す人たちは辛い」と書いてしまいました。笑い話ですが、それも真実です。世の中が好戦ムードに湧き立つ中で「平和」を主張すれば迫害されます。戦闘下では「非戦」を呟くだけで処刑されてしまいます。「テモテ書」は、ローマで獄中にあったパウロが語るという形式の書簡です。パウロの真作ではありませんが、殉教を前にした彼の心情が偲ばれます。

3.《福音の真理に》 「鎖につながれて」は「監獄に囚われて」とも訳せますが、続く「神の言葉はつながれない」の関連で「鎖」と成っています。この聖句は「バルメン宣言」の第6条のテーゼの前に掲げられているのです。ヒトラー政権下で 「告白教会」が表明した信仰告白ですが、主の御言葉と御業は、人間の願望や国家目的や計画経済などからは完全に自由であり、人間の目論見に御言葉を仕えさせてはならないと言うのです。「ナチス的思考」は、現代日本の教会の中にも起こり得るのです。本末転倒が起こり得るのが、人間の現実なのです。私たちは「人間の不真実」に対して「神の真実」を掲げて参りましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:55 | 毎週の講壇から