2020年09月15日

9月第3主日礼拝

       9月20日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”おまえも死ぬぞ”         朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 16章19〜31節(p.141)
讃 美 歌  27、139、490、7、478、88
交読詩篇  詩編98編1〜9節(p.111)

・讃美歌練習(10月の月歌:144番)  礼拝後    礼拝堂

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2020年09月14日

羊たちの沈黙【ルカ 15:1〜7】

聖句「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」(15:7)

1.《つくも》 日本では「九十九」と書いて「つくも」と読ませます。「百(もも)に次ぐ」から「次ぐ百(もも)」、訛って「つくも」です。「つくもがみ」は「白髪」の意味です。「伊勢物語」でも「もゝとせに ひとゝせ足らぬ つくもがみ…」の歌が詠まれています。「百歳に1歳足りないような白髪の老婆が…」の意味です。古道具も長く放置していると「付喪神」という妖怪になり百鬼夜行をします。

2.《九十九》 「九十九」は「百」を前提にしています。イエスさまの譬え話では「百匹の羊」は百匹一財産、「十枚のドラクメ銀貨」も「番町皿屋敷」と同じく10枚1セットの箪笥預金です。「完全な価値」なのです。1つでも欠けたら価値が失われてしまうのです。聖数の「7」に1つ足りない「6」は不完全な数字、その三連荘の「666」は神に逆らう「獣の数字」とされています。「過ぎたるは及ばざるが如し」で、聖数「12」に1つ多い「13」も不吉な数字です。「放蕩息子」の譬え話でも、「息子は2人いるから兄弟の1人が失われても構わない」等ということは断じてありません。失われたら耐え難い苦しみ、それが親心というものです。

3.《喜ぶ友》 「1匹対99匹」の対立図式で読むべきではありません。それでは「トロリー問題」「ボート問題」のように、机上の道徳的ジレンマに陥ってしまいます。イエスさまは人間の判断や計算、道徳を言って居られるのではありません。神の摂理(御心は何か)について語って居られます。それは「天の喜び」です。神さまがそれを喜ばれるのです。しかし、私たちは「正しい人」である自分(九十九匹の羊、放蕩息子の兄)が置き去りにされているかのように感じるのです。他方、失われた羊を捜し求めて発見した人と「一緒に喜ぶ人たち」が登場します。呼び集められた「友だち、隣人」が共に喜び、祝宴に与るのです。妬んだり羨んだり、拗ねたり捻くれたりせず「神の友」として、一緒に喜びましょう。

朝日研一朗牧師

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2020年09月08日

9月第2主日礼拝

       9月13日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”羊たちの沈黙” 音楽        朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 15章1〜7節(p.138)
讃 美 歌  27、139、490、4、469、88
交読詩篇  詩編98編1〜9節(p.111)

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2020年09月07日

背負うことが学ぶこと【マタイ11:25〜30】

聖句「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。…わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。」(11:28,29)

1.《休みたい》 「コロナ休業」等と言いますが、泣く泣く休業せざるを得なかった人たちが殆どで、生活不安の中にあって、心身の休養が出来た人など余りいなかったと思います。アリストテレスは「休み」を「パイディア/遊び」「アナパウシス/保養」「スコレー/学びの暇」の3つに分けました。イエスさまが「休ませてあげよう」「安らぎを得られる」と仰るのは「アナパウシス」です。

2.《疲れたよ》 休みの前提として労働があります。「疲れた者」は「打ち叩かれている者」の意です。現場監督から鞭や杖で打たれる、古代の奴隷労働を連想します。現代においても、職場での暴力やハラスメント、危険な現場の事故、ストレスや長時間労働による病気の発症、突然死など、働く者たちは多かれ少なかれ心身に鞭打たれていると言えるでしょう。「重荷を負う者」も荷役を思わせる語です。しかしながら、必ずしも「苦役」を意味する語ではありません。例えば、適度な船荷が船体を安定させるのと同じく、人もまた、自らが負う責任や任務を持つことで、自重し、成長して行くことが出来るのです。

3.《天に昇る》 イエスさまは「軛、荷から解放して上げよう」とは仰っていません。軛や荷を背負って行くのが人生だからです。首枷は農耕用の牛2頭を繋ぐ物でした。あなたと軛を共にするパートナーがいるのです。誰もいなくても、イエスさまが一緒です。そして私たちが運ぶべき荷物は愛なのです。人生という航海には、運ぶべき荷物が必要です。余り重荷になってはいけませんが、適度な荷物がなければ空っぽの人生です。「アナパウシス/休息」には「下から上へ」のベクトルがあります。7世紀の東方教会では、母マリアの永眠の日を「アナパウシス」「アナレープシス/上へと取れ去られる」(被昇天)と言いました。本当の意味で、私たちが「労苦を解かれて、安らぎを得る」のは天に召される時です。

朝日研一朗牧師

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2020年09月01日

9月第1主日礼拝

       9月 6日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”背負うことが学ぶこと音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 11章25〜30節(p.20)
讃 美 歌  27、139、490、116、502、88
交読詩篇  詩編98編1〜9節(p.111)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内