2020年10月05日

最初の晩餐【ルカ22:14〜23】

聖句「しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。」(22:21)

1.《最後の晩餐》 レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画が有名です。ミラノの修道院の食堂に描かれたテンペラ画です。あの横一列の長テーブルの構図が斬新だったせいでしょう。現代まで映画やマンガで繰り返しパロディにされています。銭湯の富士山のように、修道院の食堂には「最後の晩餐」を描く習いでした。横一列の長テーブルは15世紀に登場します。しかし、裏切り者ユダだけは背を向けていたり、光輪(聖人の象徴)が無かったり黒かったりしたのです。

2.《晩餐コード》 小説『ダ・ヴィンチ・コード』の「コード」は「暗号」ですが、聖画にも「コード/規準」は付きものです。裏切りのユダは黒髪で銀貨の袋を握っています。ペトロは怒った顔で短刀を握っています。トマスは「裏切り者は誰ですか?」「1人ですか?」と主に尋ねています。ヨハネはイエスさまやペトロに凭(もた)れ掛かっています。貧者ラザロが「アブラハムの懐に」招かれたと言われるのと同じく、彼が主の「愛弟子」で「宴会の上席」に着かせて貰ったことが表現されています。福音書の誤読から、裸で逃げた若者と同一視された彼は、レオナルドの絵では「モナリザ」「マグダラのマリア」のように描かれています。

3.《裏切り御免》 聖書の時代には、宴会の客は簡易ベッドに横臥して食事をしていました。時代や地域と共に、聖書の描写も変わります。「最後の晩餐」を「最初の晩餐/聖餐」として受け止める、教会にとっては、主の御言葉が大切です。端的に言えば「私を思い出せ」「約束だよ」の2つです。そして、その席に裏切る者さえもが招かれていたという驚くべき事実です。「裏切る」には「後に残す、棄てる」の意味もあります。主を置き去りにして逃げた使徒だけではありません。信仰者としての務めを放棄したり、信仰を棄てることもある私たちもまた、それでも主は招いてくださるのです。そんな主の御心に救われているのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:55 | 毎週の講壇から