2020年10月19日

光に導かれるまま85年【マタイ6:25〜34】

聖句「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。」(6:26)

1.《光の子に》 目黒通りを祐天寺方向に入った所で生まれ、油面小学校に通っていましたが、小学校4年生に父の郷里、下妻市に疎開しました。翌年には終戦。戦後は、兄に誘われてフレンド派の教会の日曜学校に通いました。新制中学の1年生で洗礼を受けましたが、その時には、本当に「光の子」になったような気持ちがしたものです。翌年、母の実家のある日本橋人形町に戻り、両親はパン屋を始め、私も配達を手伝い、「パン屋のみどりちゃん」と呼ばれていました。

2.《神の招き》 人形町時代にもバプテスト派の宣教師夫妻の伝道所に通っていました。けれども、4人きょうだいの3番目に生まれた私は、親から疎んじられているように感じて、僻みっぽくなっていたように思います。今思えば、親の愛に気付かないままの可愛げない私でした。縁あって重村光一と結婚して、行人坂教会にも通うようになりましたが、礼拝に導かれる中で、讃美歌517番「『われに来よ』と主は今/やさしく呼びたもう」の歌声に、心が染み入って涙が止まらなくなりました。3年近く子どもに恵まれない中、「跡取りが出来ない」と気を揉む重村家の舅姑から、声を荒げて庇ってくれた夫のことも忘れ難いものがあります。

3.《小鳥たち》 長男が1歳になった頃、重村の父が天に召され、夫が会社を継ぎました。しかし組合運動やオイルショックが重なり、会社は倒産してしまいました。跡取り息子の家に嫁ぎ、実家の親戚から羨ましがられていたが、その財産も消えて無くなり、子どもの貯金も取り崩して社員の給金に当てる始末でした。けれども正直、スッキリしました。幼年時代に口ずさんだ「ことりたちは小さくても」の讃美歌や聖句が私や夫を力づけてくれました。幸い、夫も教会の友人のお世話で再就職先が見付かり、私自身も保育士として働き始めました。以来40年余り、施設長や職員たちにも大切にされました。今でも、その保育園の園児と職員に関わり、年齢相応の仕事に携わっています。信仰の薄い私にも、常に神さまは愛を注いでくださり、導かれて今日があることを感謝しています。

重村みどり

posted by 行人坂教会 at 18:25 | 毎週の講壇から