聖句「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である。気をつけて、目を覚ましていなさい。」(13:32,33)
1.《アドベント》 クリスマスを前にして、アドベントの期間があることは、世間では知られていません。しかし、私たちが「イヴ当日」と思っている12月24日も、アドベントの最後の1日に過ぎません。12月25日はクリスマスで、主日と同じ祭日ですが、24日は特別な日ではありません。日没により日付が変更される聖書の習慣に従っているので、日没後に行なわれるイヴ礼拝は、正真正銘のクリスマス礼拝と見なされています。日没前ではダメなのです(笑)。
2.《いつなのか》 日本では、アドベントを「待降節」と訳しました。主を待ち望む私たちの姿勢としては結構ですが、アドベントの本質ではありません。ラテン語の「テンプス・アドウェントゥス」は「到来、接近の時」です。「主が来られる」ことです。「テンプス」はギリシア語の「カイロス/その時」です。聖書では「終わりの日、救いの時」です。神のお膝元、天にいる天使たちも、イエス御自身さえも知らされてはいないと言うのです。私たちに分からないのも当然です。知る必要のないこと、知るべきではないことなのです。小説や映画のオチは勿論、私たちの人生も信仰も、何も知らされていないから面白いと言えるでしょう。
3.《生きていく》 「誰も知らない」「あなたがたには分からない」と言われるものの、旧約聖書の中にメシア(救い主)の到来は何と350回も予告されているそうです。でも、クリスマスの夜、ベツレヘムの町は何も知らず眠っていました。そこで終わりの時、私たちが慌てることのないよう、新約聖書には、キリスト再臨の預言が300回もあるようです。その時がいつなのか、私たちには分かりませんが、その時のための心構えを、イエスさまは教えて下さっています。「気をつけている」ことは、この世の動きや社会の問題から目を逸らさず、この時代に向き合っていくことです。「目を覚ましている」は、他の人たちへの愛と思い遣りを失わずに暮らしていくことです。37節で締めに言われる「目を覚ましている」は「生長する」ことです。「与えられた人生を思う存分に生きなさい」「芽を出し、茎を伸ばし、枝を張って生長しなさい」と、主は仰っているのです。
朝日研一朗牧師