2020年11月02日

涙は希望に生まれ変わる【ヨハネ11:28〜37】

聖句「イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して言われた。『どこに葬ったのか。』」(11:33,34)

1.《看取られ》 近所の診療所の医師から、つい最近も、コロナで亡くなった患者がいて、その連れ合いが診察に来た時に「何十年も連れ添ったのに、最期を看取ってやることも出来なかった」と号泣なさっていたという話を伺いました。重症化すると家族も会話も面会も出来ません。人工呼吸器を挿管すれば意識も失います。家族は最期の時を一緒に過ごすことも出来ないのです。新型コロナウイルスで亡くなる場合、家族や友人から遠ざけられて、孤独の中で死を迎えるのです。

2.《主の憤り》 イエスさまは親友ラザロの死に対して「憤りを覚えた」と書かれています。家族や近所の人たちが悲嘆に暮れている中で、なぜかイエスさまだけは怒っているのです。友の死に対して、怒りの感情を表わすイエスさまに違和感を抱きがちです。しかし、どうでしょう。私たちは「喜怒哀楽」等と容易く4分割してしまいますが、人間の心は綺麗に分けることは出来ません。感情は互いに重なり合っています。怒りが負の感情と限ったものではありません。人種差別やイジメ、経済格差や組織的不平等、犯罪や暴力、人権蹂躙、児童虐待や性虐待など、この世には、むしろ、正しく怒りを向けるべき事柄が沢山あるのです。

3.《希望の娘》 神の子イエスさまが癇癪を起こす姿は「好ましくない」と思うのか、「激しく感動し」「霊の憤りを覚え」等と、イエスの神性を主張する訳が多いのです。けれども、この語は「動揺する、狼狽する」と訳すことも出来るのです。むしろ、親友の死に対して動揺し狼狽する主の御姿に感動します。本当に悲しかったのだろうと思います。「イエスは涙を流された」も、堰を切ったように「ワッと泣き出した」の意味だとする学者もいます。私たちも愛する人を失った時、未整理の感情が渦巻き、何かを契機にドッと悲しみが押し寄せます。イエスさまは、私たちの思いを御存知なのです。しかし、涙は涙で終わりません。死は死で終わらず、復活があるのです。アウグスティヌスは「希望には、2人の美しい娘がいる。彼女たちの名前は『怒り』と『勇気』だ」と述べています。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:55 | 毎週の講壇から