2020年11月23日

涙と共に種まく人は…【詩編126:5〜6】

聖句「涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。/種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/…喜びの歌をうたいながら帰ってくる。」(126:5,6)

1.《これが種》 皆さんは「種」と言うと、どんな物を思い浮かべるでしょうか。スイカの種、リンゴの種、柿の種など果物の種は大きな存在感があります。けれども、バナナは品種改良の結果、「種無しバナナ」が当たり前になっています。トマトやキュウリも、種があっても意識できない程に小さくなっています。私たちが種の存在に気付くのは、食べる時に邪魔になるからです。実際には、種があるのに、種があると余り意識することのない果物や野菜が数多くあるのです。

2.《これも種》 私たちが食べているトウモロコシの粒は種なのです。豆腐も揚げも、味噌も醤油も、大豆という種から出来ています。おにぎりや日本酒の原料である米も、パンやうどんやスパゲティやビールの原料である麦も、同じです。米や麦の穂に入っているのは「種」に他なりません。蕎麦もソバの種から出来ています。私たちは、穀物の種を頂いているのです。私たちが「実り」と言っている物は、本当は「種」だったのです。考えてみると、不思議な気持ちになります。植物が繁殖のために作っている種を、私たちは食べている。私たちの中に、その種は取り入れられて、そこから私たちは生きる力を頂いているのです。

3.《涙こそ種》 エジプトのピラミッド、ファラオの墓の中から5千年前の小麦の粒が発見されました。それを地面に蒔いて育てたら、驚いたことに発芽したというのです。その種は5千年も芽生える時を待っていたのです。聖書もまた、色々な種の入った袋のようなものです。御言葉の種です。受け入れ準備の出来た豊かな心の中に蒔かれるまで、何十年も何百年も種の形のままです。私も若い頃は、聖書など死んで干乾びた言葉と思っていましたが、石のようになって死んでいたのは、私の心の方でした。私たちの人生は種蒔きのような仕事です。種の入った麻袋を背負って、泣きながら自分のフィールドに出て行きます。楽しいことばかりではありません。むしろ、辛いことや苦しいことの方が多いのです。けれども、あなたが流す涙は、必ず神さまが受け取ってくださいます。それが正しい涙なら、いつか、その涙に代えて、喜びの歌を与えてくださることでしょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:54 | 毎週の講壇から