2020年12月29日

クリスマスイヴ賛美礼拝オンライン配信録画のご案内

クリスマスイヴ賛美礼拝オンライン配信の録画を視聴できます。


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https://vimeo.com/495421307
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posted by 行人坂教会 at 23:13 | 毎週の礼拝案内

1月第1主日礼拝(2021年新年礼拝)

       1月 3日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”亡命者はナザレをめざす音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 2章19〜23節(p.3)
讃 美 歌  150、490、94、463、26
交読詩篇  詩編104編24〜30節(p.118)


・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2020年12月28日

脱出せよと天使は告げた【マタイ2:13〜18】

聖句「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。」(2:13)

1.《子どもの祭》 12月28日は「幼な子殉教者の日」、ヘロデ王に虐殺されたベツレヘムの幼児を記念する日です。クリスマスは「子どもの祭」と言われます。降誕図やプレゼピオは飼い葉桶の赤ん坊を中心にしていますし、サンタが子どもたちにプレゼントを届けます。しかし、幼児虐殺の出来事をも踏まえた上で、クリスマスを受け止めるべきです。現代社会にも子どもの虐殺や虐待はあります。現代にもヘロデ王はいるのです。私たちの中にもヘロデがいるのです。

2.《ガブリエル》 ヘロデの幼児虐殺に先立って、エジプトへの逃避の記事があります。父ヨセフの夢に天使が現われて、危機を知らせ、一家をエジプトに脱出させるのです。この天使の名前は語られませんが、ザカリアとマリアに「受胎告知」をしたガブリエルとされています。羊飼いに救い主の降誕を告げたのも、イースターの朝、墓の前で女弟子たちに主の復活を告げたのも、同じくガブリエルとされています。「ダニエル書」以来、主の御言葉を伝えるのはガブリエルと決まっているのです。御子イエスさまと違って、私たちには神の御心は分かりません。それでも「御心ならば」と、神の御言葉に従って行くべき時があるのです。

3.《雌伏と雄飛》 ガブリエルがヨセフに命じている「連れて行け」には「受け容れる、引き取る、迎え入れる、信じて受け容れる」の意味があります。許婚マリアの懐妊に苦しむヨセフに「迎え入れよ」と告げられた語と同じです。ヨセフは、天使の言った通りに忠実に実行します。男性が父親として「腹を括る」瞬間です。「エジプトに逃げよ」の「逃げる」は「難を免れる」、「エジプトへ去り」の「去る」は「退く」です。「退く」ことは不名誉ではありません。時折り、イエスさまが群集から離れて、山や海辺で祈られた時の「退く」と同じです。私たちの人生にも、将来のチャンスを我慢強く待つ「雌伏」の時が必要なのです。その対語は「雄飛」ですが、オスメスの役割分担と読むべきではありません。タマシギやエミュー、ウコッケイ等は、雄鳥が抱卵して雛を養育するのですから。むしろ「雌伏」を経て初めて、勢いよく羽ばたく「雄飛」の日も巡って来るというものです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 14:47 | 毎週の講壇から

2020年12月22日

12月第4主日礼拝

      12月27日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”脱出せよと天使は告げた音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 2章13〜18節(p.2)
讃 美 歌  177、490、272、219、25
交読詩篇  詩編113編1〜9節(p.130)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2020年12月21日

人生は光に導かれる旅【マタイ2:1〜12】

聖句「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。」(2:9)

1.《追放と脱出》 聖書に登場する人たちの多くが「旅」をしています。しかし、現代の私たちが考える旅(観光旅行、研修旅行、出張)ではありません。大きな危険と困難を伴う移動でした。「エグザイル/追放、亡命、流浪」と「エクサダス/脱出、移住、退去」の2つの語に集約されるでしょう。2つの語は「バビロン捕囚」と「出エジプト」をも意味します。「旅」と呼ぶには余りにも過酷です。歴史の動乱や運命の流転によって、暮らしも人生も大きく変えられてしまうのです。

2.《旅はドラマ》 私たちにも「人生の旅」があります。今や生まれ育った家で、そのまま生涯を終える人は殆どいません。学業や就職、結婚によって親元を離れます。旅立ちは親子の別れです。夫婦にも死別離別があります。聖書の旅ほどではありませんが、私たちの人生の旅にも多くの困難があります。クリスマスの物語も困難な旅で幕を開けます。ヨセフとマリアの旅の後には、東方から来た博士たちの旅が描かれています。「東方」はユーフラテス川の東側の広大な地域を意味します。曖昧です。同じように博士たちにとっても、目的地は明らかではありませんでした。だからこそ、彼らはエルサレムに行ってしまったのです。

3.《新しい道へ》 明日は木星と土星の397年ぶりの大接近(会合)が観られます。これが「ベツレヘムの星」の正体と言われています。木星は偉大な王や宗教家を、土星は苦難を表わすと言います。博士たちは未来を占うのには長けていましたが、ユダヤの国という以外に、場所の特定は出来ませんでした。それどころか「ユダヤ人の王」故に都に生まれるとの思い込みから、一番行ってはならないヘロデ王の王宮を訪ねてしまうのです。しかし華やかに見えても、それは虚飾、立派そうに見えても、それは虚勢です。そんなものは、私たちを本当に生かしめるものではありません。改めて星に導かれた博士たちは、ベツレヘムでイエスさまに出会い、ひれ伏して、贈り物を奉げました。この3つの行為(出会い、礼拝、献身)によって、彼らの人生は再スタートされたのです。光に導かれる「別の道、新しい道」を通って進んで行ったのです。新しい歩みを恐れる必要はありません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:50 | 毎週の講壇から

2020年12月20日

クリスマス礼拝

20201220クリスマス礼拝
posted by 行人坂教会 at 20:57 | 教会アルバム

2020年12月19日

真っ直ぐな線は短い

一、スパゲッティ

イマドキの若い人たちが「オンラインゲーム」にハマった挙句に「ゲーム依存症」になって、やがては「ネトゲ廃人」…等という、ごく月並みな固定観念しか抱いていなかった私にとって、「オンライン」というレトロニム(再命名)用語は、どこかしら自分には関わりの無い事柄と感じていました。

ところが、今や「コロナ禍」も手伝って、何かと言えば、公然と「オンライン」です。多くの企業では「オンライン会議」が当たり前。学校は「オンライン授業」、学習塾から習い事まで「オンライン・レッスン」、病院は「オンライン診療」です。友人たちと「オンライン飲み会」をして、恋人たちは「オンライン・ディナー」です。食事もネット注文で「ウーバーイーツ」や「出前館」が宅配してくれます。エンタメやアートの世界も「オンライン・イベント」「オンライン・コンサート」の花盛り。それと軌を一にするようにして、キリスト教や仏教などの宗教の世界でも「オンライン礼拝」が確実に拡がり始めています。

振り返ってみれば、もう何年も前から、ネットショッピング(オンライン通販)で、どんな品物でも注文できて、「買い物カゴ」に入れたら、翌日には品物が届くという時代に成っていたのでした。わざわざ映画館に行かなくても、オンラインで新作映画を観ることが出来るのでした。それどころか、最近では「Netflix」「Amazon Prime Video」「Hulu」等の「VOD/ビデオ・オン・デマンド」の動画配信でなければ観ることの出来ない作品が一杯です。

二、ラインの黄金

何もかもが一斉に雪崩を打って「オンライン」に移行しているかのように見えますが、これは勿論「オンライン」のシステムが莫大な富をもたらしているからです。その大元にいるのは、消費資本主義のマモン(富の悪魔)であることを忘れてはなりません。

オンラインは利用者にとって便利で快適です。お気に入りの品物を探し歩いたり、雨の日に外出したり、店員とやり取りする必要もありません。自室に居ながらにして、サービスを供給してくれているように思えます。しかし、それは金銭を支払って得られる「有料サービス」です。その代償として、私たちの口座からは預金が引き落とされています。そして何より、オンラインの有料サービスを利用することにより、私たちは、自分たちの側がサービスすることを忘れてしまうのです。

実際に足を運んでも無駄足に終わることが多々あります。折角辿り着いたお店が閉店していたり、見付からないこともあります。「骨折り損」です。けれども、そこにこそ、私たちの愛があり、サービス(仕えること、礼拝すること)があるのです。

「真っ直ぐなる線が最も短し/līnea rēctā brevissima/リーネア・レークター・ブレウィッシマ」というラテン語の格言があります。十九世紀フランスの政治家、フランソワ・ギゾー(カルヴァン派でした)の言葉と伝えられます。目的の早期達成を最優先する国家主義的な言葉です。しかしながら、私はこのように言い換えたいと思います。「オンライン万能の時代も、案外と短いのではないか」と。


【会報「行人坂」No.260 2020年12月発行より】

posted by 行人坂教会 at 15:33 | ┣会報巻頭言など

2020年12月15日

クリスマス(降誕節)礼拝

      12月20日(日) 午前10時30分〜11時40分
説  教 ”人生は光に導かれる旅音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 2章2〜12節(p.2)
讃 美 歌  177、490、247、279、25
交読詩篇  詩編113編1〜9節(p.130)

・讃美歌練習(1月の讃美歌:150番) 礼拝後     礼拝堂

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2020年12月14日

人として生まれ、人として生きる【ルカ2:1〜7】

聖句「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。…人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。」(2:1,3)

1.《英霊の聲》 今年は三島由紀夫が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた「楯の会事件」から50年です。事件の数年前に、三島が発表した短編『英霊の聲』に彼の信条が綴られています。「帰神」という神道の交霊会に「二・二六事件」の青年将校や神風特攻隊員の霊が降りて来ます。彼らは霊媒の口を借りて、現人神への深い愛を語ります。しかしながら「人間宣言」により裏切られ切り捨てられた、悲しみと怨念を語ります。「などて天皇(すめろぎ)は人間(ひと)となりたまひし」と。

2.《人間宣言》 神道や日本の民間信仰では、森羅万象に「魂(たま)」が宿っていて、年ふれば全て神と成ります。伊勢神宮に詣でた西行法師が「何事の/おわしますかは/知らねども/かたじけなさに/涙こぼるる」と歌っています。自然の中に神を感じるセンスは私たちの中にもあり、決して恥じるべきものではありません。しかし、聖書の証しする神は創造主です。それら全てをお造りになった神なのです。私たちは偉大な人を神として祭り上げようとしますが、新約聖書が証ししているのは、反対に人として生まれ、人として生き、人として死なれたキリストです。神でありながら人としての生を全うされた主が尊いと、私は思います。

3.《住民登録》 人としてイエスさまがお生まれになった出来事を象徴するのが「住民登録/アポグラフェー」です。それは「徴税簿」、税金を徴収するための名簿が作成されたのです。ローマ帝国が徴税人を使役して徴収した税金は、全て帝国の国庫に入りました。それと別にユダヤ国の領主であるヘロデ王家も、人頭税、土地税、租税、家屋税などを民から徴収しました。古代ユダヤの民は二重の税負担に苦しめられたのです。しかも、現代と違って、それで医療や福祉などの行政サービスが受けられる訳ではありません。父ヨセフは税金を徴収される立場の人、個人事業者でした。「人頭税」と言うと、マリアやイエスさま等の家族分も支払わされたのでしょうか。イエスさまは、1人の人間としてお生まれになり、庶民の暮らしの中で生きられました。私たちが味わっている「貧しき憂い、生くる悩み」を「つぶさに舐め」られたのです。それが「クリスマスの主」です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:53 | 毎週の講壇から

2020年12月11日

12月第2主日礼拝(アドベント第3主日)

      12月13日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”人として生まれ、人として生きる音楽 朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 2章1〜7節(p.102)
讃 美 歌  177、490、250(@E)、257、25
交読詩篇  詩編113編1〜9節(p.130)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内