2021年07月31日

我々は単なる数なり Numerus sumus

1.核兵器五輪

コロナ禍の今、オリンピック東京大会が開催中です。私も息子と一緒に、サッカー日本代表の試合だけは欠かさず観ていますが、「平和月間」の8月に相応しく、核弾頭保有国のランキングを発表したいと思います。

ロシア6,260発、米国5,550発、中国350発、フランス290発、英国225発、パキスタン165発、インド160発、イスラエル90発、北朝鮮40発(2021年6月1日現在、長崎大学核兵器廃絶研究センター)と成っています。しかも、現在の核兵器1発の破壊力は、広島型原爆「リトルボーイ」の百倍と言われています。あの「リトルボーイ」等というフザケタ名前の通りに、かつての原爆の破壊力が如何にも「ごく小さい」と言われているかのような、異常な錯覚に陥りそうです。

世界に1万3千発余の核兵器が存在し、総計6千6百メガトンの破壊力があると言われています。広島の「リトルボーイ」が15キロトン、長崎の「ファットマン」が21キロトンです。「メガトン」とは「キロトン」の千倍を意味します。つまり、TNT爆薬の爆発に換算すると、1メガトンは百万トンです。その6千6百倍ですから、66億トンでしょうか。原爆投下直後の広島や長崎の惨状を思い浮かべながら、その3億倍、2億倍をイメージしてみるしかありません。

勿論、そんなことを、原爆を体験していない私たちがイメージすることは不可能です。けれども、その2億倍なんて、たとえ被爆者の人でも想像することは出来ないでしょう。

2.関心喪失点

先日、逝去されたジャーナリスト、立花隆が「単位とイメージ」という文章の中で、こんなことを書いていたのを思い出します。少し長くなりますが、引用させて頂きます。

「核兵器の実験があるたびに、あるいは核戦略が問題にされるたびに、われわれはメガトンということばをきき、広島原爆何千発分という表現をきく。しかし、広島の被爆者のケロイドの写真を見て、食事がノドを通らぬ思いをした人たちでさえ、そうした数字をきいても、まるっきり無感動に受け止めてしまっている。」

「なぜだろうか? 慣れだろうか? それもある。が、それだけではない。人間には、イメージできる量の限界がある。量が大きくなりすぎても小さくなりすぎても、人間は無感動になって、関心を失ってしまう。」(立花隆著『文明の逆説』講談社文庫より)

この後、立花は「パーキンソンの法則」(Parkinson’ s law)を援用します。シリル・ノースコート・パーキンソン(Cyril Northcote Parkinson)は英国の政治学者・歴史学者です。自国の官僚制を分析した結果、人間が金額に対して(それも大きな金額と小さな金額に対して)「関心喪失点」を持っていることを発見したのです。

英国の財務委員会が1千万ポンドの原子炉建造計画の予算見積もり審議に要した時間は僅か2分半だったそうです。それに対して、事務職員の自転車置き場を350ポンドで作る予算審議に対しては、「屋根をトタンにすれば300ポンドで出来る」という意見が出て、45分間の議論。共同福祉委員会の会合の茶菓代、月35シリングの予算請求に対しては、1時間15分も沸騰した議論が続いたと言うのです。

多分、この時代(1950年代末)は1ポンドが(現在の貨幣価値で)5千円くらいの時代です。シリングは1ポンドの20分の1ですから、茶菓代35シリングは8,750円。自転車置き場の300ポンドは150万円。原子炉建造は500億円です。

ここからパーキンソンは、小さい数字の「関心喪失点」は、その人が賭け事で失っても良い金額、もしくは、慈善団体に寄付しても良いと思っている金額に等しいとしました。大きい数字の「関心喪失点」について、パーキンソンは書いていなかったそうで、立花は「私見だが、たぶんその人が一どきに費消した経験がある金額の十倍から二十倍くらいが極大点になるのではあるまいか」と述べています。

3.数字の魔力

例えば、悪名高き「アベノマスク」の費用総額は260億円だったそうです(内、配送費76億円)。当初言われていた466億円に比べれば、ズッとマシですが、それでも、詰まらない思い付きのために行なわれた、途方も無い無駄遣いです。私が安倍元首相なら国民に申し訳なくて、首を括っているはずです。

「東京オリンピック・パラリンピック」の大会経費は(今の所)1兆6440億円と言われています。歴代五輪の中で最も経費がかかった大会と成る見込みです。しかも、これまた、チケット販売などの回収は無くなり、観客による宿泊費、旅行費、飲食費などで事業者に零れ落ちる利鞘も全く見込めなくなりました。「夢の跡」には、用途を失った沢山の巨大施設が残ることでしょう(選手村はマンションとして売り出すそうですが…)。五輪の後も、しばらくは、各種競技の大会などを積極的に誘致するのでしょうが、そんなに利用料を見込めるものではありません。

結局、1兆6440億円と聞いても、260億円と聞いても、私たちにとってはイメージすることの出来ない数字です。核爆弾の66億トンも同様です。コロナの感染者数、死者数、重症患者数などの発表にも、私は大きな違和感を抱いています。その一人一人に人生があり、暮らしがあり、愛する家族が居るのです。それが全く見えない。

アッシリア帝国に攻め滅ぼされようとする、北王国イスラエルに向かって、ホセアは言いました。「これはあなたがたが自分の戦車を頼み、/勇士の多いことを頼んだためである。」(ホセア書10章13節/日本聖書協会訳)。

牧師 朝日研一朗

【2021年8月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 09:00 | ┣会報巻頭言など

2021年07月25日

10分間礼拝]]T「夜の日時計/horologium nocturnum」

2021年7月25日(日)

メッセージ:イケニエは要らない
聖   書:マタイによる福音書 9章9〜13節(p.15)
讃 美 歌:448番「お招きに応えました」


試聴は次の箇所をクリックしていただくと、PCにインストールされている音楽プレーヤー(WindowsならMedia playerなど)で再生できます。
ここをクリックして下さい音楽
posted by 行人坂教会 at 10:00 | 夜の日時計

2021年07月18日

10分間礼拝]]「夜の日時計/horologium nocturnum」

2021年7月18日(日)

メッセージ:慈悲の器
聖   書:ローマの信徒への手紙 9章19〜26節(p.287)
讃 美 歌:542番「主が受け入れてくださるから」


試聴は次の箇所をクリックしていただくと、PCにインストールされている音楽プレーヤー(WindowsならMedia playerなど)で再生できます。
ここをクリックして下さい音楽
posted by 行人坂教会 at 10:00 | 夜の日時計

2021年07月12日

今夜、取り上げられる命なら【ルカ12:13〜21】

聖句「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。」(12:20)

1.《エッセンシャル》 コロナウイルスの感染爆発が始まって、私たちは沢山の耳慣れぬ用語を知ることになりました。その中に「エッセンシャル・ワーク」(社会インフラのために必要不可欠な職業)がありました。医療介護、教育保育、食品や必需品の生産・流通・販売、防犯治安、交通、公益インフラ等です。これらの職種が「必要不可欠」なのは理解できますが、それが強調され過ぎると、「不要不急」と烙印を押される職種も出て来ます。お酒を出す店、芸術芸能、そして私たち教会も、精神的に追い詰められているように感ぜざるを得ません。

2.《過剰供給の呪い》 相続問題で悩む人が相談しましたが、イエスさまは「貪欲に注意し用心せよ」と仰るばかりです。ギリシア語の「貪欲」とは「もっと、もっと」と「より多くを求めて止まぬ生活習慣」のことです。私たちが物質的な豊かさを求め続ける状態です。ラテン語には「吝嗇」の含みもあります。経済成長率などの空疎な数字に固執して、困窮する国民に目を向けない政治家たちを思い出させます。「有り余るほど物を持っていても…」は「過剰、余剰」という語で、食品廃棄物の問題とリンクします。私たちは「財産」(直訳は「手近な物」)が大事だと思い込まされていますが、それは消費社会が生み出した呪縛なのです。

3.《人生はレンタル》 ある金持ちの畑が大豊作だったので、彼は古い倉を壊して新しく大きな倉に穀物と財産を仕舞い込んで、安心していました。ところが、神は「今夜、お前の命は取り上げられる」と宣告されたのです。直訳は「彼らがお前の魂を要求する」です。死神(死の天使)が債務の取り立てにやって来るのです。つまり、私たちの命や魂は神さまからの借り物(レンタル)だったのです。従って、それによって得られた富や宝もまた、必要とする誰かのために活用しなければならなかったのです。私たちの持ち物も、才能も、心も「死蔵」してはいけません。誰かのために使うことが出来るのです。延いては、それこそが、神を喜ばせること、神に栄光を帰することに繋がって行くのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から

〜10分間礼拝「夜の日時計」〜 音声配信礼拝の予告 その7

今後の10分間礼拝予定です。

]].7月18日(日)午前10時30分から配信
メッセージ:  慈悲の器 =@
聖書: ローマの信徒への手紙 9章19〜26節(p.287)
讃美歌: 542番「主が受け入れてくださるから」


]]T.7月25日(日)午前10時30分から配信
メッセージ:  イケニエは要らない
聖書: マタイによる福音書 9章9〜13節(p.15)
讃美歌: 448番「お招きに応えました」


]]U.8月1日(日)午前10時30分から配信
メッセージ:  断食道場40日
聖書: ヨナ書 3章1〜10節(p.1447))
讃美歌: 566番「むくいを望まで」


]]V.8月8日(日)午前10時30分から配信
メッセージ:  人生のイミテーション =@
聖書: マタイによる福音書 10章24〜25節(p.18)
讃美歌: 543番「キリストの前に」


]]W.8月15日(日)午前10時30分から配信
メッセージ:  この邪悪な時代
聖書: マタイによる福音書 12章43〜45節(p.23)
讃美歌: 116番「主よ、わたしたちの主よ」


]]X.8月22日(日)午前10時30分から配信
メッセージ:  誰もが呻いている
聖書: ローマの信徒への手紙 8章18〜25節(p.284)
讃美歌: 425番「こすずめも、くじらも」


]]Y.8月29日(日)午前10時30分から配信
メッセージ:  タカラノアリカ
聖書: マタイによる福音書 13章44〜46節(p.26)
讃美歌: 477番「主イェスを想えば」



※ 当教会の音声配信礼拝には、「新共同訳聖書」「讃美歌21」を使用しています。
聖書箇所は、主日聖書日課「日毎の糧2021」(日本キリスト教団出版局)を参照
しています。
posted by 行人坂教会 at 10:11 | 夜の日時計

2021年07月11日

みんなでステンシル

今日のCSわいわいタイムはみんなでステンシルをしました。

20210711みんなでステンシル

すてきなポケットティッシュカバーができました。

posted by 行人坂教会 at 22:16 | こどもの教会「あんず」

2021年07月06日

7月第2主日礼拝

       7月11日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”今夜、取り上げられる命なら音楽  朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 12章13節〜21節(p.131)
讃 美 歌  27、212(@B)、490、217、453、25
交読詩篇  143編1〜6節(p.160)

・定期教会総会     正午〜午後3時      礼拝堂
・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2021年07月05日

ありとあらゆる患いを【マタイ4:23〜25】

聖句「イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。」(4:23)

1.《癒し系アイドル》 日本社会では、今も「癒し系」という語が広く流通しています。実際「癒し系グッズ」の名で売り込んでいる商品が沢山あります。それに加えて「癒し系」が持て囃されるのが芸能界です。毎年「癒し系タレント」「癒し系イケメン」等のランキングが発表されます。バブル経済崩壊後の1990年代に始まった「癒しブーム」は今尚続いているのです。まさに「失われた30年」、働けども我が暮らし楽にならず、日本国民の多くは潜在的に、生活苦と不安に喘ぐ中で「癒されたい」「癒して欲しい」と願っているのです。

2.《癒しは卑しい?》 90年代の「癒しブーム」に対して「癒しは卑しい言葉だ」(1999年)と頭ごなしに否定したのが、宗教学者の山折哲雄、仏教学者のひろさちや等でした。誰もが「癒されたい」と受身のみで語られる「癒し」は「卑しい」と警鐘を鳴らしたのです。しかしながら「癒されるパワースポット」「ヒーリングスポット」等と、現在、マスコミと共に「癒しブーム」の旗振り役を務めているのは、山折の大スキな寺社仏閣(所謂「日本文化」とやら)であるというのは何とも皮肉な話です。キリスト教にも「癒しの信仰」を前面に出して、教勢拡大に利用している教会があります。患者を医療から遠ざけたり、見世物にしたり、引き替えに破格の献金を要求したり、その多くが「破壊的カルト」です。

3.《病者に仕える者》 福音書の中にも繰り返し「癒した」との語が出て来ます。それを根拠に「癒しの信仰」を主張する教会もあります。そこで改めて、イエスさまが何を為さっていたのか調べてみました。「癒す/テラペウオー」は「セラピー/療法」の語源です。患者本人の成長や発達、回復を促していく事です。しかも「テラペウオー」は「仕える、奉仕する、看護する」が第一義です。名詞の「テラポーン」に至っては「従者、下僕、奴隷」です。治療士(ヒーラー)が霊能力を誇示する癒しではありません。イエスさまは、病気や患い(病名も付けられない症状)に苦しみ悩んでいる人たちに仕え、寄り添って行かれたのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:53 | 毎週の講壇から