聖句「しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。」(12:20)
1.《エッセンシャル》 コロナウイルスの感染爆発が始まって、私たちは沢山の耳慣れぬ用語を知ることになりました。その中に「エッセンシャル・ワーク」(社会インフラのために必要不可欠な職業)がありました。医療介護、教育保育、食品や必需品の生産・流通・販売、防犯治安、交通、公益インフラ等です。これらの職種が「必要不可欠」なのは理解できますが、それが強調され過ぎると、「不要不急」と烙印を押される職種も出て来ます。お酒を出す店、芸術芸能、そして私たち教会も、精神的に追い詰められているように感ぜざるを得ません。
2.《過剰供給の呪い》 相続問題で悩む人が相談しましたが、イエスさまは「貪欲に注意し用心せよ」と仰るばかりです。ギリシア語の「貪欲」とは「もっと、もっと」と「より多くを求めて止まぬ生活習慣」のことです。私たちが物質的な豊かさを求め続ける状態です。ラテン語には「吝嗇」の含みもあります。経済成長率などの空疎な数字に固執して、困窮する国民に目を向けない政治家たちを思い出させます。「有り余るほど物を持っていても…」は「過剰、余剰」という語で、食品廃棄物の問題とリンクします。私たちは「財産」(直訳は「手近な物」)が大事だと思い込まされていますが、それは消費社会が生み出した呪縛なのです。
3.《人生はレンタル》 ある金持ちの畑が大豊作だったので、彼は古い倉を壊して新しく大きな倉に穀物と財産を仕舞い込んで、安心していました。ところが、神は「今夜、お前の命は取り上げられる」と宣告されたのです。直訳は「彼らがお前の魂を要求する」です。死神(死の天使)が債務の取り立てにやって来るのです。つまり、私たちの命や魂は神さまからの借り物(レンタル)だったのです。従って、それによって得られた富や宝もまた、必要とする誰かのために活用しなければならなかったのです。私たちの持ち物も、才能も、心も「死蔵」してはいけません。誰かのために使うことが出来るのです。延いては、それこそが、神を喜ばせること、神に栄光を帰することに繋がって行くのです。
朝日研一朗牧師