1.「ポーの一族」
ホラー小説ファンならば、エドガー・アラン・ポーの処女作『メッツェンガーシュタイン』という短編を御存知かと思います。ハンガリーを舞台に、敵対する貴族家(ベルリフィッツィング家とメッツェンガーシュタイン家)の呪いの連鎖を描いたゴシック文学です。
読んだ事は無くとも、あるいは、映画を御覧になったかも知れません。1967年のフランス映画『世にも怪奇な物語』(Histoires Extraordinaires)の第1話「黒馬の哭く館」です。監督は『素直な悪女』や『血とバラ』で知られる耽美派、ロジェ・ヴァディム。主演したのは、当時ヴァディムの愛人だった(ベトナム反戦運動の闘士になる前の)ジェーン・フォンダと、実弟(『イージー・ライダー』になる前の)ピーター・フォンダでした。
実は、子どもの時に、このアニメ版を観てトラウマになったという人もいます。『まんが世界昔ばなし』(1976〜1979年)に「炎のうま」の題名でアニメ化、放映されているのです。僅か12分程なのですが、陰陰滅滅たる雰囲気は、明らかに「お子様番組」の枠から外れていました。まあ、そもそも、このアニメ番組、「ノアのはこ舟」「ブレーメンの音楽隊」「さいごの一葉」等の定番に紛れて、「ドラキュラ」「フランケンシュタイン」「ファウスト」「メドゥーサの首」が入っていたりしたのですが…。
それはともかく、ポーの『メッツェンガーシュタイン』ですが、その巻頭のエピグラフ(題字)として引用されているのが、マルティン・ルターの言葉なのです。「われ生きるときは疫病なりし。― 死しては汝の死とならん。」(小泉一郎訳/「ポオ小説全集1」)。
私の愛蔵版(カラーイラスト付き)短編集(Fall River Press)、つまり、原文では、ルターの引用文はラテン語です。「pestis eram vivus, moriens tua mors ero.」。
2.ルターの呪詛
このルターの(ものとされる)言葉は、何をどう言い繕っても、呪いの言葉(呪詛)に間違いありません。一体どこから来たのでしょうか。奇しくも、今年は丁度「宗教改革記念日」(即ち、ルターが宗教改革を始めた日とされる)10月31日が11年ぶりに主日(日曜日)と重なります。その記念として「ルターの呪詛」に思いを巡らしてみたいと思います。
ルターが死んだのは、1546年2月18日です。日本では戦国時代の真っ只中、足利義輝が室町幕府第13代将軍に就任した年(天文15年)です。ルターは臨終の床で、宗教改革の同志たちに遺言(と言うか、反カトリックのプロパガンダ)を告げたと言われています。それが「ルターの預言」と称する木版画と成り、恐らくは、パンフレットの表紙か街宣ビラとして印刷され、広く配布されたのでしょう。
木版画の下には、ルターのプロパガンダが箇条書きにしてあるのですが、私は神学者では無いので、余り興味がありません。その上に、ルターの肖像がババンッと描かれています。手前の机の上には、ペンとインク壺、頭蓋骨と砂時計(「死を思え」)が置いてあります。そして、その絵の上に、ドイツ語で「牧師にして領主なるマルティン・ルター博士の預言」等と(まるで「ノストラダムスの大予言」みたく)鳴り物入りの字体で銘打ってあります。その下に、ラテン語で「pestis eram vivus, moriens tua mors ero, Papa」と書いてあるのです。ポーの小説を離れて、訳し直すと「我は生前には、汝の疫病神なりき、死後は汝の死神とならん、ローマ教皇よ」と成ります。
当時、このエピグラム(碑銘)は大ウケしたようで、私の記憶に間違いが無ければ、ルーカス・クラナッハが描いた、ルター臨終の図にも添えられていたように思います。なる程、♪「死して護国の鬼と/誓いし箱崎の/神ぞ知ろし召す」(永井建子作詞「元寇」)とか「御下命、如何にしても果す可し/尚、死して屍拾う者なし」(テレビ時代劇『大江戸捜査網』の「隠密同心の心得之条」)みたいで、中々カッコいい。ラテン詩の専門家によると、「六歩格詩/hexameter」というスタイルの、リズム感のある詩なのだそうです。
ともかく、ローマ教皇(当時はパウロ三世)の絶対権力、もしくは、ローマ教皇庁の世界支配に対する呪詛、プロテスタント陣営からの挑戦状だった訳です。それを、ポーは自身の小説に引用する事で、更に普遍的な呪詛として普及させたのでした。
3.見えない恐怖
今現在、私たちも「新型コロナウイルス」という疫病の脅威に、不安な日々を過ごしています。私自身も、何を考えるとも無く「疫病、災い/pestis/ペースティス」という語を唱えていたら、先のルターの呪詛「我は汝の疫病なり」を思い出したのでした。疫病の恐ろしいのは、目に見えない事です。だから、流行の当初、マスコミでは盛んに「新型コロナウイルス」の写真を報道していたのです。「これが正体だ!」と言わんばかりでしたね。でも最近では、赤い突起の写真を改めて見せる事も無くなりました。
そう言えば、エドガー・アラン・ポーには『赤死病の仮面』という短編もありました。「黒死病」ならぬ「赤死病」という原因不明(架空)の疫病が流行して、国中で民がバタバタと死んで行きます。領主のプロスペロ公は、そんな事にはお構いなく、貴族たちを呼び集めて、壮大な仮面舞踏会を開きます。ところが、事もあろうに「赤死病」患者の扮装をした人物が会場に闖入し、招待客たちはパニックに陥ります。
プロスペロ公は「不埒な奴だ!」と激怒し、短剣を振り翳し、この人物を追い回します。ところが、突如、この人物は翻って公に迫り、公は悶絶して死に絶えます。踊り手たちがこの人物を取り囲み、衣裳と仮面を剥ぎ取ると、人間の姿など影も形も無かったのです。そして舞踏会に集まった貴族たちも、一人また一人と倒れて息絶えて行くのでした…。
自民党の総裁選挙に、仮面舞踏会のような優雅さは、欠片もありませんがね。
牧師 朝日研一朗
【2021年10月の月報より】
posted by 行人坂教会 at 09:00
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