2021年10月04日

人間モドキ【Tヨハネ 2:28〜3:3】

聖句「…自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れるとき、御子に似た者となるということを知っています。」(3:2)

1.《ジュニア》 その昔、米国のテレビドラマで活躍したエフレム・ジンバリスト・ジュニアという俳優がいました。父親はエフレム・ジンバリストという有名なヴァイオリニストだったのです。このように米国では、親と同名の息子や娘に「ジュニア」と名付ける習慣があります。日本では歌舞伎や能楽などの芸能の世界で、名跡を継ぎますが、家元制度としてブランドとタニマチを受け継ぐのです。その点、新約聖書に言う「神の子」は「何代目」よりは「ジュニア」に近いでしょう。

2.《神の子ら》 冒頭で「子たちよ」と呼び掛けられているのは「テクニア」、誰から生まれたか、誰の子どもかに重点の置かれた語です。だから「神の子」と言い換えられています。私たちは神さまの愛を受けて「神の子」とされたのです。イエスさまを「神の子」と呼ぶ場合「フィオス/御子」が使われます。こちらは「世継ぎ」の意味です。両者の違いを「実子」と「養子」と譬えた牧師がいますが、却って誤解を招き易いと思います。日本では、血の繋がらない親子関係を軽視する傾向があるからです。しかし「神は、その独り子をお与えになったほどに」私たちを「愛された」のです。実子を差し置いてまで、養子を愛することがあるでしょうか。私たちは、神の愛と御子の十字架によって「生まれた子ども」なのです。

3.《愛する者》 手塚治虫のマンガ『マグマ大使』には、侵略者ゴアの手先となって働く「人間モドキ」という生き物が登場します。どんな人間にも変身して、社会の中に潜り込むのですが、実体も人格も、感情も個性もありません。「もどき」とは「似て非なる滑稽なもの」を表わす古典芸能の用語です。幾ら「私たちは神の子です」と主張しても「人間モドキ」同然の連中が一杯います。人を愛する心を失ってしまったら、私たちも忽ち「もどき」に成ってしまうのです。世にある時、主は御自らを「人の子」と称されました。「人として、人と共に、人の間で生きる」という強い思いを表わされたのです。私たちが徹底して「人の子」として生きる時、僅かかも知れませんが、主の御側に近付けるのでは無いでしょうか。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:54 | 毎週の講壇から