2021年10月25日

その人と同じように【フィリピ2:1〜11】

聖句「…自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、…十字架の死に至るまで従順でした。」(2:7,8)

1.《心に掛ける》 世の中、自分の事だけで精一杯、他人の事まで知らない。ところが、聖書には「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と言われています。「注意を払う」は「見守る、心に掛ける」の意味です。相手が気付かなくても、見守る人の心の中にあるのです。恩着せがましくありません。勿論「自分のこと」も蔑ろにしてはいけません。「他人の…」は「一方に対する他方」です。ここから自分や身内以外の「隣人」を意味するようになりました。共同体に関わりを持って、世間は広がり、人生も深まるのです。

2.《天まで上れ》 最近、巨大資本の総帥と言われる企業家たちが相次いで、宇宙旅行をビジネスモデルとして成功させました。あの満面の笑みは、誰よりも高い次元に上り、神の視点を手に入れた喜びです。富の支配者が地上を見下ろそうとするのは「バベルの塔」から「トランプタワー」まで変わりません。アポロ15号の乗組員アーウィンは、後に福音伝道者と成りましたが、「月面を歩く人間よりも、地上を歩むイエスの方が重要だ」と言い残しています。上を目指し「優れた者」に成ろうとしても、待っているのは「利己心(独善)と虚栄心(自惚れ)」に過ぎません。舞い上がっているのは本人だけで、恥ずかしい限りです。

3.《へりくだる》 反対に、イエスさまの在り方は「神と等しい者であることに固執しようとは思わず」ですが、「固執」とは「手放したくない宝物」の意味です。主にとっては、神さまとの親子関係、一体感です。それを手放されたからこそ、十字架の上で絶望の叫びを上げられたのです。「自分を無にする」は自分を明け渡すことです。「へりくだる」には「肉体労働をする」の意味もあります。姿形を表わす3つの語「形」「似姿」「有様」が使われていて、地上に生きたイエスさまが「良い御身分」ではなく、汗と泥に塗れて働かれたことが言われています。そのようにして「神の愛の何たるか」を身をもって顕わされたのです。ラテン語の「へりくだり/フミリタース」は「大地/フムス」が語幹です。私たちは「大地から離れては生きられない」のです。「地面」から離れることは致命的です。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:57 | 毎週の講壇から