2021年11月30日

12月第1主日礼拝(アドベント第2主日)

      12月 5日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”夢みる惑星” 音楽         朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 1章18〜25節(p.1)
讃 美 歌  27、176、490、234、244、89
交読詩篇  詩編 113編1〜9節(p.130)

・臨時総会      礼拝後            礼拝堂

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2021年11月29日

暗闇の中で生まれた光【マタイ4:12〜17】

聖句「暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」(4:16)

1.《クリスマス》 クリスマス(主の降誕日)を12月25日に決めたのは、325年のニカイア公会議からです。ミトラ教の「不滅の太陽の誕生日」をパクったのです。東方教会は1月6日としていますが、オシリスの祭りが起源だそうです。他にも、神の子は「生没同日」であるべきとの考えから「受難日」とする説、聖書の記述から計算して、ユダヤ教の秋の収穫祭「仮庵祭」と同日とする説もあります。けれども、既に日本社会が受容した通り、12月25日で良いのです。

2.《メッセージ》 クリスマスにとって重要なのは「何月何日か」ということではありません。その内容、メッセージなのです。単なる季節のお祭りにしてはいけないのです。クリスマスのメッセージは「暗闇の中の光」です。明るい光のみを求めて、光ばかり見ようとすると、却ってクリスマスに辿り着けません。「マタイによる福音書」が預言の成就として引用する「イザヤ書」9章では「闇の中を歩む民は…」です。「闇路を行く」なのです。「マタイ」は上の句も下の句に合わせて「住む」と読みました。それは「座る」という動詞ですが、ソファーで寛いでいるのではありません。世の闇に押し潰されて「座り込んでいる」のです。

3.《家なき子ら》 広島で被爆し、朝鮮戦争の開戦後に自死を遂げた原民喜という作家がいます。彼は原爆が再び使用されるのでは無いかと不安に苛まれながら、友人に宛てた手紙に「家なき子らのクリスマス」という詩を書いています。しかし、日本社会は「朝鮮特需」の中、戦争で深い傷を負った者たちの痛みに蓋をしたまま、経済成長に突き進んでいました。マロの『家なき子』にも、クリスマスに賑わう街の喧騒をよそに、寒空の下でイヴを迎える場面があります。ドビュッシーが生涯最後に書いた歌曲(作詞も)「家なき子らのクリスマス」では、第一次大戦の戦災孤児たちが「プレゼントは無くても良いから、せめて日毎の糧を!」と悲痛な祈りを奉げています。クリスマスは元来、暗闇を見詰める季節です。信仰者の人生は「暗闇の中に生まれる光を探し求める旅路」なのです。

朝日研一朗牧師

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2021年11月28日

クリスマスリース

今日からアドベントです。

玄関に生木のリースを飾りました。

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posted by 行人坂教会 at 23:31 | 毎週の礼拝案内

ペーパー靴下作り

今日からアドベントです。

みんなでペーパー靴下を作って、中にお菓子を入れました。

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posted by 行人坂教会 at 23:29 | こどもの教会「あんず」

2021年11月27日

冬に咲く花

1.暖冬と寒梅

去る11月22日、久し振りに「東京同信伝道会」の講演会があり、霊南坂教会に行きました。生憎の雨もあってか、参加者は非常に少なかったのですが、同窓の方たちと旧交を温める一時でした。小原克博教授(同志社大学神学部)による講演「新型コロナウイルスによって見えてきた課題」も、多くの示唆を受ける内容でした。

その講演の中で「真理似寒梅敢侵風雪開」という新島襄の漢詩が紹介されていました。「真理は寒梅の似(ごと)し、敢えて風雪を侵して開く」と読みます。新島が教え子の深井英五に与えた漢詩です。深井英五は、明治期にジャーナリストとして名を馳せて後、銀行家に転身、高橋是清内閣の時に日銀総裁を務めた人物です。

簡単に言えば、時代の趨勢に抵抗できるような精神が肝要、抵抗の原理と成らないような精神には真理性は無いという意味です。巨大な会場が閑散として、寒々しかったせいかも知れませんが、結局、その漢詩が最も心に残りました。

と言いながらも、気温は低くは無くて、フリースを1枚羽織っているだけなのに、傘を持って移動していると、汗が流れます。今年も暖冬だと感じます。最近はズッと暖冬です。何しろ、私は冬の生まれで、季節の中で一番、冬が好きなのです。だから、身の程知らずにも冬物のコートやマントは何着も持っているのですが、ここ数年、全く出番が無いのです。袖を通す機会は、1年の内、数える程しかありません。

そんな訳で、折角の新島の「寒梅」の詩も近年、何となくではありますが、今一つ迫力を感じられません(勿論、私たち自身の側が…ですよ)。それは、もしかして、もしかすると、やはり、地球温暖化のせいでは無いでしょうか。身を突き刺すような寒さが感じられないのです。それは即ち、私たち自身が時代の趨勢に対して、大きな抵抗を出来ないままに押し流されている現実と、どこかで繋がっているような気がして成りません。

2.ふゆそうび

「冬に咲く花」と言うと、逆境に健気に抗う「ひたむきさ」がイメージされるのか、演歌や歌謡曲に採り上げられることの多いアイテムです。西田佐知子の「エリカの花散るとき」(1963年)、都はるみの「アンコ椿は恋の花」(1964年)、布施明の「シクラメンのかほり」(1975年)、大川栄作の「さざんかの宿」(1982年)、薬師丸ひろ子の「冬のバラ」(1984年)、さだまさしの「クリスマス・ローズ」(2003年)、都はるみの「エリカの花の咲く頃に」(2013年)、SEKAI NO OWARIの「サザンカ」(2018年)…。

花の種類が特定されてはいませんが、中島美嘉の「雪の華」(2003年)、宮本浩次の「冬の花」(2019年)も外せない名曲です。

それで思い出しましたが、日本語には「冬に咲く薔薇」を指して「冬薔薇(ふゆそうび)、寒薔薇(かんそうび)」と呼ぶ美しい言の葉があります。初めて耳にした時、教養の無い私などは「冬装備」と勘違いする始末でした。軍隊の「雪迷彩/スノーカモフラージュ」を連想していたのです。例えば「冬戦争/talvisota」(1939〜40年、ソ連がフィンランドを侵略、芬軍がこれを撃退)における、芬軍の伝説的スナイパー、シモ・ヘイへ(Simo Häyhä)は、赤軍兵士から、その雪迷彩の故に「白い死神」と呼ばれていました。

戦争の関連で言うと、ドラマ部分の内容はともかく、戦艦大和の46センチ砲が火を吹く特撮が素晴らしかった(特技監督は中野昭慶!)映画『連合艦隊』(1981年)のエンドクレジットに、谷村新司の「群青」という歌が流れるのですが、その歌詞に♪「せめて海に散れ/想いが届かば/せめて海に咲け/心の冬薔薇(ふゆそうび)」とありました(これは、後で歌詞を読んで知ったことです)。当時、館内には、太平洋戦争の生き残りと思しき老人たちが(この世の見納めとばかり)大勢観に来て居り、この歌が流れる頃には、館内のそこかしこから異様な啜り泣き、嗚咽が聞こえて来たのでした。

3.薔薇と野茨

行人坂教会の庭にも薔薇があり、冬にも咲くのです。1つは、私が赴任する前から居られる「皇太后」か「庭の主」のような雰囲気の薔薇です。これが大輪の紅い花を咲かせます。もう1つは、妻が植えた薔薇です。黄色い花を咲かせています。これが一瞬、雛菊かと目を疑う程の慎ましやかさなのですが、間違いなく薔薇の花なのです。そう言えば、成瀬巳喜男監督に『妻よ薔薇のやうに』(1935年)という映画がありました。

古い言い伝えに寄れば、薔薇の枝に棘が生えたのは、アダムとエバが原罪を犯してからの事だそうです。野茨を編んで作られたとされる荊冠(茨の冠)が、キリストの額を傷付け、血を流させます。それも人間の原罪を意味しているのです。

ローマカトリック教会では、聖母マリアのことを「棘の無い薔薇」と呼びます。カトリックの信仰では、聖母だけが無垢のまま「エデンの園」に戻ることを許された唯一の人間とされているのです。それ故、彼女は「神秘の薔薇」と呼ばれます。また、信徒が「アヴェ・マリア」の連祷を唱える際に使用する数珠「ロザリオ/rosário」は「薔薇の冠」という意味です。聖心女子学院でお馴染みの「聖心/Sacré Cœur/サクレ・クール」には「聖母マリアの汚れなき御心」という含みがありますが、その紋章もまた、茨を巻かれて傷口から血を流す心臓(ハート)です。ここにも「薔薇、野薔薇、野茨」のモチーフがあります。

「讃美歌第二編」には「マリヤはあゆみぬ」(Maria durch ein’ Dornwald ging)という中世ドイツのカロルが掲載されていました。♪1節「マリヤはあゆみぬ/キリエ・エレイソン/茂る森かげの/いばらのこみちを/キリエ・エレイソン」。3節「いばらの枯木も/キリエ・エレイソン/血にそみしあとに/きよき花さきぬ/キリエ・エレイソン」。

牧師 朝日研一朗

【2021年12月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など

2021年11月23日

2021収穫感謝日合同礼拝

礼拝の前、子どもたちがクリスマスツリーを飾って、来週からのアドベントの準備をしました。

20211123収穫感謝日合同礼拝

収穫感謝日合同礼拝では、子どもたちも司式や聖書朗読をしました。

posted by 行人坂教会 at 21:39 | 教会アルバム

11月第4主日礼拝(アドベント第1主日)

      11月28日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”暗闇の中で生まれた光” 音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 4章12〜17節(p.5)
讃 美 歌  27、108、490、232、239、88
交読詩篇  詩編82編1〜8節(p.95)

・讃美歌練習(12月の月歌:176番)  礼拝後     礼拝堂

・・・当日の音声録音を聴く
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2021年11月22日

フルーツバスケット【民数記13:23〜24】

聖句「エシュコルの谷に着くと、彼らは一房のぶどうの付いた枝を切り取り、棒に下げ、二人で担いだ。また、ざくろやいちじくも取った。」(13:23)

1.《チョコ工場》 子どもたちに人気のある『チャーリーとチョコレート工場』という映画があります。これまで一般人が誰も入ったことの無い、謎のチョコレート工場に、金のカードを引き当てた5人の子どもたちが招待されます。食いしん坊、負けず嫌い、我儘な金持ち、捻くれたゲーマー、貧乏だけど家族思いの子です。工場の中には、驚いたことに、チョコレートの滝と小川が流れ、木も草もファッジで出来ている、そんな空間が広がっていたのです。

2.《お菓子の家》 『チャリチョコ』の元ネタは、グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」に登場する「お菓子の家」かも知れません。この物語の背後にも、14世紀にヨーロッパを襲った大飢饉の影響があるとされています。ヘンゼルとグレーテルの兄妹は口減らしのために、実の親によって森の奥深くに捨てられるのです。更に遡ると「民数記」の「エシュコルの葡萄」に辿り着きます。エジプトを脱出した難民が飢餓や数知れぬ困難を経て、漸く「約束の土地」に到達します。モーセが送り出した斥候が、巨大な葡萄の房を二人がかりで棒に下げて戻って来ます。文字通りカナンは「乳と蜜の流れる地」、豊饒の地だったのです。

3.《人生ゲーム》 イスラエルの民はその地に侵入することを躊躇いました。住民のアナク人が巨人だったからです。それで更に数十年間、彼らは荒れ野を流浪する運命と成ります。従って、この物語は「エジプトで奴隷根性の付いた民は、勇気と信仰をもって戦わなかったので、無駄な歳月を過ごす結果と成った」という教訓として語られます。しかし「戦わない」生き方もあって良いのでは無いでしょうか。その土地を奪われたら、アナク人は故郷を奪われるのです。「椅子取りゲーム」ではのんびり屋さんが押し退けられて椅子を奪われます。最後には、1つだけ残った椅子を巡って争います。ゲームだから楽しいのです。でも、世の中が「椅子取りゲーム」一辺倒に成ってはいけません。勉強もスポーツも商売も競争ですが、人生には競争しなくても良い場所(家庭や教会)も必要なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:55 | 毎週の講壇から

2021年11月20日

2021年行人坂教会クリスマス諸行事のご案内

2021年「行人坂教会 クリスマス諸行事のご案内」のパンフレットです。

クリスマス関連の諸行事のご案内2021


行人坂教会 クリスマス諸行事のご案内

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人間の涙が神のうちに宿るとき

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posted by 行人坂教会 at 10:00 | 教会からのお知らせ

2021年11月16日

11月第3主日礼拝(収穫感謝日、謝恩日)

      11月21日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”フルーツバスケット” 音楽     朝日研一朗牧師
聖  書  民数記 13章23〜24節(p.234)
讃 美 歌  27、108、62、こども101、60、88
交 読 文  ウィリアム・ブレイク無垢の歌≠謔閾羊飼い

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posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内