2022年01月31日

争うのはやめよう【創世記13:5〜18】

聖句「わたしたちは親類どうしだ。わたしとあなたの間ではもちろん、お互いの羊飼いの間でも争うのはやめよう。」(13:8)

1.《ギャンブル》 宝くじの「メガビッグ」1等12億円の当選者が未だに名乗り出ないそうです。配当されなければ「キャリーオーバー」と言って、次回の配当金に上乗せされます。サッカーくじをフランスでは「ロト」と言います。「創世記」にも、アブラハムの甥の族長ロトが登場しますが、何の関係もありません。但し、丁半博打のような賭けが出て来ます。ハラン出発の時から同行し、一時は自分の跡継ぎとまで考えた甥との別れは、アブラハムにとっても辛かったはずです。

2.《争いと和解》 貧困の故に家族が離散を余儀なくされる場合もありますが、「財産が多すぎたから」別れざるを得ない場合もあるのです。相続争いに端を発する同族企業の分裂など、今でも耳にします。アブラハムとロト、各々の羊飼いたちの間に争い(メリーバーハ)が起こりました。草場を巡ってでしょうか、それともお互いの群れが混じり合ったせいでしょうか、両者の対立は一触即発の事態に発展しています。その時、アブラハムがロトに「親類(アーハ/同胞、同信の友)が争い合うのは愚の骨頂」と提案するのです。イエスさまも「礼拝」よりも「和解」を優先しろ(マタイによる福音書5章24節)と仰っています。誰かとの喧嘩や感情の蟠りを礼拝欠席の方便に使う等、もっての他です。

3.《右か左か?》 二者択一の博打なら勝率は50%です。しかし、アブラハムは年長者でありながら優先権をロトに譲ってしまったのです。コイントスも振り駒もありません。ロトが肥沃な土地を選ぶのは明白でした。ロトは「右=東」のヨルダン川一帯の低地を選び、アブラハムは「左=西」の痩せた土地に向かいます。ヘブライ語でも「右」が祝福や力を表わすのに対して、左向きに出発するのは「幸先が悪い」の意味です。日本語の「左前」にも通じます。ロトへの親心から優先権を譲ってみたものの、冷静に考えると大失敗です。でも、そんなアブラハムに神さまは「目を上げて見渡せ」「自由自在に歩き回れ」「あなたの土地だ」と励まされたのです。私たちにとっては「土地」ではなく「人生」の問題です。「開かれているかどうか」は私たちの志の問題、「自由」は私たちの意志の問題です。

朝日研一朗牧師

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2022年01月25日

1月第5主日礼拝

       1月30日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”争うのはやめよう” 音楽      朝日研一朗牧師
聖  書  創世記 13章5〜18節(p.16)
讃 美 歌  27、181、490、477(@D)、540、24
交読詩篇  詩編 72編1〜7節(p.81)

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2022年01月24日

天から火なんか降らせない【ルカ9:51〜56】

聖句「弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、『主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼らを焼き滅ぼしましょうか』と言った。」(9:54)

1.《雷神が最強》 人体の自然発火現象は古代から目撃されています。落雷の直撃を受ける異常な死と共に、古代社会では天罰、祟りとして恐れられて来ました。ゼウスやユーピテル、インドラ(帝釈天)が神々の王とされるのも、雷を司る最強の神と考えられていたからです。旧約聖書のバアルもヤハウェも同じです。菅原道真が「天神さん」と崇められるのも同じ事情によります。でも、古代にも、ルクレティウスのように「天罰でも祟りでも無い」と言い切った人がいたのです。

2.《人間の燔祭》 弟子の言う「天から火を降らせて」云々の台詞には前提があります。「列王記下」1章の預言者エリヤの物語です。イスラエル王国のアハズヤ王がバアルに病気の治癒を祈願しようとしたのを、エリヤが批判します。王はエリヤを逮捕しようと軍隊を派兵しますが。天から火が降って来て、全員が焼き殺されてしまうのです。これを「人間の燔祭」と言います。3度目の派兵で、漸くエリヤは自分から謁見に出向きます。昔話や御伽噺で、紋切り型の台詞の遣り取りが3回繰り返される「せり上がり」と呼ばれる技法です。次の展開に移るためのエネルギーを蓄積したり、子どもたちが成長して行くリズムを表わしているとも言われます。ともかく「天から火」はエリヤの故事に因んでいるのです。

3.《十字架の道》 ここにこそ、旧約と新約との断絶があります。イエスさまは平気で人を殺しまくる旧約の預言者たちとは違うのです。村人から逗留を拒否されても、先に進もうとされるだけです。むしろ、激する弟子たちを戒められるのです。旧約がスペクタクルだとすると、新約は大人向けの人間ドラマです。サマリアの村人がイエス一行を拒否したのは、ゲリジム山を無視して、エルサレムを目指して居られると知ったからです。まさか、イエスさまがエルサレムで十字架に掛けられる等とは知る由もありません。永井隆の「浦上燔祭説」も思い出されます。「神の摂理」「試練」「小羊の燔祭」等という意味不明な美辞麗句を使うのは危険な兆候です。私たちの主は「天の火」を弄んだり、力を誇示したり、怨みを晴らしたり為さいません。ただ、十字架の道を進んで行かれるのです。

朝日研一朗牧師

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2022年01月18日

1月第4主日礼拝

       1月23日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”天から火なんか降らせない音楽   朝日研一朗牧師
聖  書  ルカによる福音書 9章51〜56節(p.124)
讃 美 歌  27、181、490、372、516、24
交読詩篇  詩編 72編1〜7節(p.81)

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2022年01月17日

すずめの涙【マタイ10:26〜31】

聖句「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。」(10:29)

1.《五つの銅貨》 連続テレビ小説を見ていて、サッチモこと、ルイ・アームストロングが本人役で出演していた映画『五つの銅貨』(1959年)を思い出しました。劇中、繰り返し歌われる主題歌は、1ペニー銅貨の1つ1つに「願い」「夢」「踊り」「笑顔」「愛」を託した歌詞でした。「愛のある所に天国があるんだ」「たかが5つの銅貨、でも、これさえあれば、君は世界一豊かになれるんだ」。私たちが幸せに生きていくために必要な力を歌っていました。

2.《小さな世界》 英訳聖書「新改訂標準訳」は「1アサリオン」を「1ペニー」と訳していました。米国やカナダでは最小の貨幣でしょう(ペニーはセントです)。日本語にも「安っぽい」の意味で「三文芝居」「一文無し」と言います。「雀の涙」や「お涙金」という語も思い出されます。イエスさまの時代、神殿には屋台が軒を並べていたのですが、煮売り屋(惣菜屋)が雀(もしくは小鳥)を売っていたのです。方や神殿では、牛や羊が丸々1頭屠られて奉げられ、宴会が催されています。豪快な食肉文化です。それなのに、イエスの弟子たちと来たら「焼き鳥が2本10円」の屋台で一杯やっていたのです。随分しみったれていますね。でも、そのような「小さな世界」から見えて来る何かがあるのです。

3.《福音の使命》 小鳥を捕まえて煮売り屋に売っていたのは近所の子どもたちです。駄賃代わりに1円2円を貰っていたのでしょう。しかし、イエスさまは、そんな1羽でさえも、その生き死には神の御心によると仰います。そして、福音の宣教に遣わす弟子たちに向かって「あなたがたは沢山の雀よりも遥かに勝っている」と励まされます。「勝っている」の原意は「通って運ぶ、通り抜ける」です。苦難の中を「通って」福音を「運ぶ」こと、それこそが、弟子たちが雀や鳥よりも「より優れている」ことなのです。彼らが主から託された福音とは、願いや夢、笑顔を忘れないこと、生きる煌めき、希望と愛です。それが他の誰かを豊かに出来るのです。小さい事を恥ずかしいと思ってはいけません。小さな事柄に気付く時、私たちは自らの魂を取り戻すことが出来るのです。

朝日研一朗牧師

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2022年01月11日

1月第3主日礼拝

       1月16日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”すずめの涙” 音楽         朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 10章26〜31節(p.18)
讃 美 歌  27、181、490、447、425、24
交読詩篇  詩編 72編1〜7節(p.81)

・讃美歌練習(2月の月歌:557番)   礼拝後    礼拝堂

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2022年01月10日

ベトザタの池が動くとき【ヨハネ5:1〜9】

聖句「イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、『良くなりたいか』と言われた。」(5:6)

1.《ワンオペ》 1つの店舗や事務所、営業所を「単独で切り盛りさせられること」を「ワンオペ」と言います。某牛丼チェーンが全国の店舗で、非正規従業員に長時間ワンオペ深夜営業をさせていたことが社会問題化し、日本の劣悪な労働環境を象徴する語となりました。近年は、家庭の在り方に対しても「ワンオペ家事、ワンオペ育児」と使われています。更に深刻な問題として「ワンオペ介護」も控えています。周囲の援助が無ければ、介護に当たる家族は忽ち孤立してしまいます。

2.《自己責任》 2020年に京都市で、重度の知的障碍を抱える息子を、母親が殺害した後、自殺をはかったという痛ましい事件が起こりました。介護生活に疲れ果て、心中しようとしたのです。一応、日本にも社会福祉制度や窓口は存在しているのですが、当事者や介護者が自分から窮状を訴えて行かない限り、置いてけ堀にされてしまう傾向があります。ベトザタの池の病人が「池の中に入れてくれる人がいない」と、イエスさまに訴えるのを読んで気付かされました。「あなたの援助が必要です」と、私たちは中々言えないのです。「自己責任」という呪いは、私たちの心の奥底にまで根を張っているのです。あたかも自らを孤立させて、自滅するようにプログラミングされているかのようです。

3.《親愛の情》 先ずイエスさまから、この病人に「良くなりたいか」と声を掛けられています。本田哲郎神父は「元気になりたいよね」と「タメ語」風に訳して居られました。主は、この病人の痛みと孤立に共感して居られる。実際、「自己責任」の名の下に、放置され続けた人は悲しみを通り越して、絶望と憤懣を抱えていますから、声を掛けても拒絶される場合が多いのです。それでも声を掛けるのが愛というものでは無いでしょうか。キリストが病気を癒すことを知らない男は「じゃあ、旦那が池に入れてくれるって言うんですかい」と返しているのです。癒しの奇跡を起こせない、私たちにとって、本当に大切なのは、イエスさまが孤立している人に気付いて、深い親愛の情を込めて、声を掛けられたことなのです。これこそ、私たちを互いに孤立させないために必要なことでは無いでしょうか。

朝日研一朗牧師

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2022年01月04日

1月第2主日礼拝

       1月 9日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”ベトザタの池が動くとき音楽    朝日研一朗牧師
聖  書  ヨハネによる福音書 5章1〜9節(p.171)
讃 美 歌  27、181、490、486、468、24
交読詩篇  詩編 72編1〜7節(p.81)

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2022年01月03日

初穂となるように【ヤコブ1:16〜18】

聖句「御父は、…わたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。」(1:18)

1.《縁起担ぎ》 年が明けると「初夢」が話題になります。年の初めに見た夢の良し悪しによって、その年の吉凶を占う「夢占い」の名残りです。「始め良ければ終わり良し」、何事も滑り出しが良ければ、最後まで上手く行くという縁起担ぎから来ているのです。入園式、入学式、入社式、成人式などの儀式を厳粛に行なうのも同根です。しかし、そんな縁起担ぎの国にして「東京オリパラ」は初めから躓きっぱなしでした。他方、緒戦で連戦連勝の太平洋戦争が如何なる悲惨な結末を迎えたかを考えると、「始め良ければ…」の縁起も全く当てには成りません。

2.《原点思考》 「初物」を食べると縁起が良いと、旬の走りの食材が高値で取り引きされたりします。聖書にも「初穂」という語が何度も出て来ます。パウロはその地域で最初に入信した人たちを「初穂」と呼んでいます。単なる縁起担ぎではなく、原点なのです。原点さえシッカリしていれば、途中で躓いても道に迷っても、必ず立ち返ることが出来るのです。私たちが聖書を何度も読み返し、毎週の礼拝を守っているのも、「イエスさまなら、どう為さるだろう」と考えるのも「原点思考」なのです。自らの立ち位置を見失わないようにしましょう。

3.《初穂奉献》 米国のビジネス書では「ストレングス・ファインダー/自分の強みを見付けよう、自分の価値を再発見しよう」と語られます。私自身も「教会の宝探し」と言って、教会の良さを意識するように訴えて来ました。両者は似て非なるものです。むしろ、教会は自らの弱さを見詰め、その弱さの中に働く主の御力に気付く場所です。「初穂」は「初物を献げる」という動詞から派生しています。聖書本来の信仰からすると、約束の土地も民も収穫も、何もかも神さまの賜物です。神さまの所有なのです。神殿に初物を献げる儀式は、その信仰を表わしていたのです。単なる縁起担ぎではなく、万物の根源である主に立ち返ることです。私たちも、その旧約以来の信仰告白を受け継いでいるのです。私たちが原点を押さえて、そこから出発したら、神は私たちを初穂として迎えて下さるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:56 | 毎週の講壇から