2022年02月28日

三種のレガリア【Tテサロニケ1:2〜10】

聖句「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、…希望を持って忍耐していることを、わたしたちは…心に留めているのです。」(1:3)

1.《三種の神器》 昭和30年代には電気冷蔵庫、電気洗濯機、白黒テレビが、皆の憧れる家電製品でした。それを「三種の神器」等と呼んだのです。昭和40年代になると、カラーテレビ、クーラー、自家用車が「三種の神器」と呼ばれました。現代では、食器洗い乾燥機、ロボット掃除機、ななめドラム式洗濯乾燥機、4K/8Kテレビ等が候補に挙げられるのですが、誰も彼もが同じように欲しがり、揃えたがるような、家電の時代は終わりを告げたように思います。

2.《レガリア?》 本来の「三種の神器」は「八咫鏡、天叢雲剣(草薙剣)、八尺瓊勾玉」の3品を言います。天孫降臨の際、アマテラスからニニギが授かって以来、天皇一族の王権の象徴とされる宝物です。凡そ王族が存在する国や民族部族には、同様の宝物が存在します。それをラテン語で「レガリア」と言います。「王に相応しき」という形容詞から派生した語です。しかし、王位継承者が当然のように受け取る世襲制にはワクワク感がありません。「アーサー王物語」では、聖剣エクスカリバーが(つまり、レガリアの方が)王に相応しき者を選びます。ローマ教皇の「漁夫の指輪」は一代限りの役割を果たすとハンマーで砕かれます。

3.《信・望・愛》 クリスチャンにとってのレガリアは「信仰と希望と愛」です。但し、パウロは信仰には「働き」を、愛には「労苦」を、希望には「忍耐」を結び合わせています。「働き/エルゴン」は「仕事、行動、勤め」、仏教徒の言う「お勤め、勤行」に当たります。信じるだけではなく、実際に足を運んで礼拝に集うことです。「労苦/コポス」は「疲労、骨折り」です。自らを悩ますことです。誰かに善事や施しをして気分が良いレベルではありません。「忍耐」は「持続性」、そこに留まることです。踏み留まる人たちの上に、イエスさまは希望の賜物をお与えになるのです。このように三種のレガリアは物品ではなく、人の目に映るものでもありません。でも主の御目には映っています。世襲で受け継がれるものではなく、あなた一代で打ち砕かれてしまうのです。しかし、礼拝を通して、神はあなたと共に居られます。御前には「労苦が無駄になる」ことはありません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 19:52 | 毎週の講壇から

2022年のレント〜イースター案内

2022年のレント〜イースター案内です。


レント〜イースター案内のパンフレットの表紙

朝日牧師メッセージ

レント〜イースターの諸行事スケジュール
posted by 行人坂教会 at 06:37 | 教会からのお知らせ

2022年02月22日

2月第4主日礼拝

       2月27日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”三種のレガリア” 音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  テサロニケの信徒への手紙T 1章2〜10節(p.374)
讃 美 歌  27、557、490、353(@B)、351、25
交読詩篇  詩編 125編1〜5b節(p.147)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2022年02月21日

たった、これだけ?【マタイ14:13〜21】

聖句「『行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。』 弟子たちは言った。『ここにはパン5つと魚2匹しかありません。』」(14:16,17)

1.《ソウルフード》 最近、何かと「ソウルフード」という語を聞くようになりました。海外からの観光客が増えた10年程前から「日本ならではの料理」の意味で使われ始め、「郷土料理」「家庭の味」と拡大解釈されました。本来は、アメリカの黒人家庭の手料理です。奴隷労働と貧苦の中から生み出された「魂の飯」なのです。音楽業界で「ソウル」が、アフリカ系の人たちの人種的な誇り、文化的、社会的な団結心を表わす合言葉とされると共に、再評価されているのです。

2.《霊魂を養う糧》 聖書に「ソウルフード」はありませんが、「霊的な糧/スピリチュアル・フード」は出て来ます。日本の教会でも、愛餐会などで皆が食べるランチを「肉の糧」、礼拝で語られた福音を「霊の糧」と言い習わして来ました。イメージとしては「出エジプト」の民が天から賜った糧「マナ」でしょうか。新約聖書によると「神の御言葉、神の御心」が「霊の糧」とされています。但し「霊の糧」を下支えしているのは「肉の糧」であり、両者は不可分なものです。霊的な事柄と肉体的な事柄を安易に切り離して考えるべきではありません。マザー・テレサは「ミサは私を下支えする霊の糧。主がパンとして顕われて給う。同時に、スラムに行き倒れた病人や捨子の体に触れる時、主に触れる」と語っています。

3.《パン屑が一杯》 弟子たちが「群集を解散させましょう」と、イエスさまに進言するのは、何となく管理者めいています。主が群集を見て憐れまれたのは、病気を押して来た人がいたからです。弟子たちが「食べ物」のことを云々するのは解散の方便に過ぎません。今では「2匹の魚と5つのパン」は教会のシンボル、教会の理念とされています。でも、その奇跡よりも、主の分けられた糧を一人一人に手渡していく中で、弟子たちは管理者の心ではなく、弟子の心にされたのだと思うのです。余ったパン屑を集めると「12の籠」一杯に成ったとあります。ユダヤ人は旅する時、柳の枝を編んだ手籠を肩から掛けて、糧食を入れました。十二使徒の持ち物だったのです。弟子とは、イエスさまの砕かれた御体、引き裂かれた御心を背負って、人生の旅へと送り出される者のことなのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 21:52 | 毎週の講壇から

2022年02月15日

2月第3主日礼拝

       2月20日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”たったこれだけ?音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  マタイによる福音書 14章13〜21節(p.28)
讃 美 歌  27、557、490、389、489(×2)、25
交読詩篇  詩編 125編1〜5b節(p.147)

・讃美歌練習(3月の月歌:292番)    礼拝後 

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2022年02月14日

炎の舌に死の毒【ヤコブ3:1〜12】

聖句「わたしたちは舌で、父である主を賛美し、また、舌で、神にかたどって造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。」(3:9,10)

1.《コロナ禍》 英語圏での「COVID-19感染爆発」や「コロナウイルス危機」という用語に比べると、短くて使い易い語です。しかし「禍」には「災難、不幸」の含みがあります。その点では、英語の「プレイグ/plague」に該当します。但し、現代では、文学や宗教の世界でしか使われません。「禍」は便利ですが、医療や検査の体制、行政機能の課題、社会や政治の問題をスルーして、単なる「個人の不運」や「自己責任」として片付けられてしまう危険性を感じるのです。

2.《地獄送り》 ネット時代が到来して以後、ツイッター等の電子掲示板に大量の誹謗中傷が寄せられて、個人が攻撃される出来事が増えています。1つ1つの「ツィッター/囀り」や「スレッド/縒り糸の1本」は小さく細くても、それが積み重なれば、誰かを死に追いやる程の呪いと成ります。「舌禍」「筆禍」ならぬ「ネト禍」です。「ヤコブの手紙」は、そのような呪いの連鎖(舌)を「不義(邪悪)の世界」であると断罪します。人を呪う言葉によって、自らの鬱憤を晴らそうとする身勝手な行為は、自らを「因果応報の車輪」の生き地獄(オルフェウス教の概念)へと追いやり、遂には「火の地獄/ゲヘナ」(ユダヤ教の概念)に落とされると言います。まさしく「地獄から地獄へと」流されて行くのです。

3.《祝福の道》 この「ヤコブの手紙」の著者も誹謗中傷に苦しんだ経験があったのでは無いでしょうか。神を賛美したのと同じ舌が、人を呪う等ということがあってはならないと言います。他方「舌を制御できる人は誰もいない」とも言います。主イエスもパウロも「呪うのではなく祝福しなさい」と勧めています。「賛美」とは「祝福/エウロギア/良き言葉」です。「良き事聞く」のが「福音」です。私たちも呪いの溢れる世界の中にあり、自らも呪いを吐き散らしながら生きています。所謂「立派な人」「正しい人」も、その立派さ正しさによって人を呪っています。正しければ正しい程、厳しい審判が待っていると知りましょう。むしろ、私たちは「大言壮語する/大きな事が出来ると威張る、大きな事を自慢する」のを止めて、自らを小さな器と認め、そこに祝福と賛美を盛り付けましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:53 | 毎週の講壇から

2022年02月08日

2月第2主日礼拝

       2月13日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”炎の舌に死の毒” 音楽       朝日研一朗牧師
聖  書  ヤコブの手紙 3章1〜12節(p.424)
讃 美 歌  27、557、490、130、474、25
交読詩篇  詩編 125編1〜5b節(p.147)

・・・当日の音声録音を聴く
posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内