2022年06月28日

7月第1主日礼拝

       7月 3日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”いつの日にか帰らん ―天の故郷―”    関智征牧師
聖  書  ヘブライ人への手紙11:13〜16(新約p.451)
讃 美 歌  27、126、490、401(@C)、旧312、89
交読詩篇  詩篇33:4〜11(p.38)

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2022年06月27日

吐く息、吸う息、神の息【第二コリント13:11〜12】

パウロは教会にあてた手紙の終わりにしばしば「聖なる口づけを交わしなさい」と勧めます。この「聖なる口づけ」とは何でしょうか。カトリック教会では、それを「コン・スピラティオ」と呼んできたそうです。「コン」は「一緒に」、「スピラティオ」はスピリットです。直訳すれば、『霊を一緒に』という意味です。このスピリットは一般には霊と訳されますが、旧約聖書のヘブル語では「霊」という言葉は「息」とも、「風」とも訳せる言葉ですから「一緒に息をする」「共に息を吸い合う」という意味にもなります。

私たちが口から吐く息は清らかなものでも、すがすがしいものでもありません。今、コロナ禍でマスクの中で感じる自分の息は生臭く、それを吸いたいとは思いません。まして他人の吐く息を吸いたいなどとは思いません。 しかし、わたしたちが悩みや苦しみや罪と共に吐き出すその息を吸ってくれる人がいること、そして私たちも他人の吐く息を吸うこと、それがコン・スピラティオ、「聖なる口づけ」なのです。キリストが聖霊(聖なる息)の姿で私たちの息を共に吸ってくださっているからです。

瀬戸内海にあるハンセン病療養所での長年伝道に生涯を捧げた河野進牧師の詩に「天のおとうさま、どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝でありますように。 すべては恵みの呼吸ですから」というのがあります。ハンセン病で人生を苦しみの中で生きてきた人々の吐く息を隣にいて吸い続けてきた人です。しかし、そのすった息を感謝として吐き出す方でした。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(テサロニケの信徒への手紙二、5:16〜18) 吸う息も、吐く息も、神の与えてくださる神の息です。教会はこの神の霊(息)を吸うことによって生かされ、神の霊(息)を感謝として吐くことによって教会となって行くのです。

上林順一郎牧師

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2022年06月21日

6月第4主日礼拝

       6月 26日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”吐く息、吸う息、神の息”    上林順一郎牧師
聖  書  コリント信徒への手紙二(新約p.341)
讃 美 歌  27、92、490、539、348、88
交読詩篇  詩篇122:1〜9(p.146)

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2022年06月20日

壺を壊して【マルコ14:3−9】

「ナルドの香油」物語です。香油には、お客をもてなすためにそれを身体に注ぐ接待法がありました。ナルドの香油は高価な贅沢品です。事の発端は、ひとりの女性が高価なナルドの香油が入った石膏の壺を壊し、香油をイエスさまの頭に注いだことでした。食事の同席者たちは突然の行為に驚き、『なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は300デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに』と彼女を非難しました。

300デナリオンは当時の労働者の300日分の賃金で、 ローマ兵の年収くらいです。 厳しい指摘は、貧しい人々に施せばもっと有効に用いることができたのにというものでした。ヨハネ福音書によると彼女はマルタの姉妹のマリアです。彼女はイエスさまへの全信頼ゆえに、本能的に壺を壊したのでしょう。常識的にものを考える人たちにその行為は当然理解できませんでした。

私は、マリアの中で既に価値観の転換が起っていたと思います。高価だと考えるのは世の常識です。同じ時と場所で、マリアと彼女をとがめた人たちとの間には、二つの異なった世界が現れています。コントラストとして描かれている二つの世界の相違点をしっかり捉える必要があります。日常に埋もれた中で、その相違をはっきり理解するのは困難です。マリアが非難された時、イエスさまはこう言われました。『するままにさせておきなさい。……わたしに良いことをしてくれたのだ』。マリアの行為への意味づけです。さらに 『貧しい人々はいつもあなた方と一緒にいるから、したい時によいことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない……この人はできる限りのことをした。……埋葬の準備をしてくれた』。律法世界では、貧しい人々への配慮はユダヤ人の義務でした。「落穂拾い」とか「借金の棒引き」とか、私たちを驚かすような思想です。しかし愛や奉仕は本来利害や打算とは無関係で、常識を超えたものです。そこに人間の打算が入り込む余地はありません。

日常に埋もれていると、愛と信仰の世界はいつしか見失われて行きます。マリアが香油を注いだその時は、彼女にとってもっとも重要な時でした。『わたしはいつも一緒にいるわけではない』という受難の予告が、壺を壊した行為とつながっています。私たちの生涯で自分が壺を壊す時はいつでしょうか?その時を逃さないようにしたいと思います。

秋葉正二牧師

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2022年06月14日

6月第3主日礼拝

       6月 19日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”壺を壊して”    秋葉正二牧師
聖  書  マルコによる福音書14:3〜9(新約p.90)
讃 美 歌  27、92、490、406(@D)、419、88
交読詩篇  詩篇122:1〜4(p.146)

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2022年06月13日

そのタンポポのままで【マタイ6:25〜34】

今、多くの人たちが人間関係で悩んでいます。人間関係のもつれが私たちの首を絞めているといってよいと思います。主イエスは「思い悩むな」と仰せになりましたが、そう言われたらますます悩むのが私たちの性分ではないでしょうか。そんな思いをふっ切りたい、断ち切りたいと思っても、次々と心配事が出てきてしまう私たちです。

主イエスはこのように言われました。 「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」(27節)。私たちは厳しく、過酷な世界に生きています。私たちの人生は自分一人で歩んでいくことはできず、人と関わり合って歩む他ないのです。神は私たちを守り、その人生に絶えず働き続けてくださっています。小鳥たちよりも野の花よりも、神はご自分に似せてお造りになった皆さんを大切に思っておられるのです。

あるカトリック司祭の著作にこういうエピソードが紹介されてありました。

自分の家ほどの立派な庭はどこにもないと自負している人がいました。けれども芝生の間からタンポポがたくさん生えてきます。タンポポに栄養を取られてしまうと芝生がうまく育ちません。その人は懸命にタンポポを抜こうとしましたが途中で根が切れてしまいます。またタンポポは次々に生えてきます。今度は除草剤を撒きましたが、タンポポだけを除くことができません。そこでこの男は植物の専門家に手紙を書き、「どうしたらタンポポを絶滅させることが出来るでしょうか」と訊きました。返事にはこうありました。

「そのタンポポを愛してみてはどうですか」。

この世界の多くの人は、考えの違う者を排除し、自分のカラーと違う者を受け容れようとはしません。それによって多くの人が傷ついています。神がお造りになったこの世界を暗く、悲しいものにしてしまってよいのでしょうか。今日、私たちは神から愛されている者たちであることを心に刻みたいのです。

中村吉基牧師

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2022年06月07日

6月第2主日礼拝(子どもの日・花の日)

       6月 12日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”そのタンポポのままで”    中村吉基牧師
聖  書  マタイによる福音書6:25〜34(新約p.10)
讃 美 歌  27、92、62、こ93、こ140、88
交読文  こどもの日・花の日に

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2022年06月06日

預言者と祭司【列王記上22:1〜9、使徒言行録1:8】

説教要旨はありません
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