2022年07月25日

荷物は一つより、二つのほうが【マタイ11:28〜30】

北海道の遠軽という町に「北海道家庭学校」という施設があります。ここはいろいろな事情で家庭にいることができないで子どもたちが家族のように一緒に生活しながら、人間としての学びを行う場所です。ここにいるこどもたちはそれぞれに重荷を背負って生きてきた子供たちです。その子どもたちの重荷をともに背負って生活をしていた校長の谷昌恒さんは『ひとむれ』(群羊社)という本の中で次のように書いています。

「大きな荷物一つ肩に担ぐと重いのです。振り分けるか、天秤棒の二つの荷物は軽いのです。自分は、自分のことだけで精いっぱいだ、人のことなど構っていられない、そんな風に考え、自分一人の荷物にしがみついていると、荷物はずっしり重いのです。あの人は自分のことだけで、大変なはずだと、そう思われている人が多くの人の心配事を担い、力を貸し、共に労を分かち合っている。本人は平気な顔をして、他人の重荷を担っている。他人の荷物を負っていることで、気が張るのか、責任を感じるのか、確かに荷物は一つより二つのほうが軽いのです」

コロナの感染が収まりません。その中にあって私たちもいろいろな重荷を背負って生きています。しかし自分の重荷だけで苦しんでいるのが事実でしょう。他人の重荷のことなど考えておられないと、自分の重荷だけをふうふう言いながら背負って生活しているのです。

谷さんはこう書いています。「荷物が一つより、二つの方が軽いのは、いつの間にか神様が背後から近づいてきて、そっとその荷物を支えてくださるからだと思うのです。多くの人の荷物を背負って苦闘している人、きっと神様が一緒になってその荷物を背負ってくださっているのです。だから軽く感じるのです」

自分の重荷だけでなく、他人の重荷を一緒に背負っていくとき、自分の重荷も軽くなっていくのです。荷物は一つより二つの方が軽いのです。神が後ろから私たちの荷物をそっと担いで下さっているからです。

上林順一郎牧師

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の講壇から