2022年08月15日

GOD IS LOVE【第一コリント13:1〜13】

「GOD IS LOVE」この言葉は、僕に洗礼を授けてくださったHJベーケン牧師からいただいた言葉です。

僕は日本の一般的な家庭に生まれ、「お盆」もあれば、「初詣」も「クリスマス」もある、いわゆる日本的ごった煮の文化の中で育ちました。 そんな中でも僕は、お盆って何?初詣ってなんで行くの?クリスマスは?仏さまと神さまは仲がいいの?と色々と母親を質問攻めにし、困らせ、納得ができないと前に進めない少年でした。  僕のようなマセた少年が聴く音楽は日本の歌謡曲やポップスではなく、もちろん洋楽です。 アーティストのミュージックビデオやライブの演出、歌詞の内容の中に、信仰に関するものが多くあることに気がつき、興味を持ち始めたのは自然の流れであったと今は思います。

僕が16歳の時、2歳年上の兄が自分で自分の命を絶つという大きな出来事がありました。 兄の死をきっかけにして、宗教や信仰についてより興味を持つ事になりました。

22歳で渡英し、ロンドンでの生活の中で、信仰的な教養のなさ故の失敗や、様々な人種差別行為などの経験を経て、僕自身の視野も広がり知識も増えました。 やはり絶対的に違うと思ったのは、心の拠り所や言葉だけでない「共通するもの」を自分が持っていないことでした。 ある時、フランス人の友人から「教会に行ってみたら?絶対的に信じることができるものがあるのはいいことだよ。色々と考えるきっかけになるかもね」と軽く言われ、そこから僕は色々な教会の礼拝に参加するようになりました。  イギリスで行っていた教会に集う人たちは人種も生活水準もバラバラなのに、一つとなって見えたのが僕には不思議に思えました。「どんなにお金持ちでも、貧乏人でも神さまの前では同じ」ということを肌で感じ、1000年以上も人々に大切にされてきた「聖書」にすごいパワーと魅力を感じるようになり、キリスト教についてや信仰について、他の宗教についてたくさんの本を読み、学びました。 そして、ポップスターの歌詞や過激な演出の本当の意味や、なぜ問題となるのか理解できるようになりました。 表現する側、受け止める側の両方の気持ちがわかったのです。

僕自身のこれまでのことを「信仰」というキーワードで振り返ると、僕の近くにはいつも神さまがいて、神さまを信じている人の「愛」があったのではないかと感じています。 「愛」という名のもとに、自分の世界観や感情、価値観を押し付けてしまうことは、残念なことに、私たち人間にはよくあることです。 理由は大概、「それが正しいから」「ずっとそうしてきたから」「一般的だから」「皆がそうしているから」です。 自身の意見が正しく、相手が間違っているという善悪二元論を持ち出すことは、果たして本当の「愛」なのでしょうか? 相手を変えるのは難しい。変わるのは自分。 それは、相手の心に寄り添い、理解しようとし、視点を変えることです。 そうすることによって、個人個人違った向き合い方ができると思います。 全て違い、全て同じではないのです。

今日の聖書箇所として選んだコリントの信徒への手紙13章は「愛について」書かれている、とても有名な章です。 その最後13節には「それゆえ信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である。」とあります。 私たちが日々すべきことは、相手を理解することや、理解しようと努力することなのだと思います。 そしてその違いを受け入れ、尊重し、共に生きていくことなのではないでしょうか。 それが「愛」なのではないかと僕は思います。 「GOD IS LOVE」愛のあるところに神さまがいる。 僕はこれからもこの言葉を胸に信仰生活を送っていきたいと思います。

岩崎覚牧師

posted by 行人坂教会 at 17:15 | 毎週の講壇から