2022年09月27日

10月第1主日礼拝(聖霊降臨節第18主日・聖餐日)

       10月 2日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”破壊的な創造、創造的な不調和”    塩谷直也牧師
聖  書  マタイによる福音書25:14〜30(新約p.49)
讃 美 歌  27、416、490、431、557、73、26
交読詩篇  詩篇96:1〜9(p.110)

posted by 行人坂教会 at 16:32 | 毎週の礼拝案内

2022年09月26日

見えざる人々の声に聴く【第一コリント12:4〜11】

この8月から、上林順一郎先生の後任として、行人坂教会の代務者に就任しました。

微力ではありますが、皆さま方と共に力を合わせ、主から託された行人坂教会のお働きを支えるため、精一杯尽力したいと思っております。

私は曾祖父から数え、4代目の牧師です。教会の中で育ったこともあり、様々な葛藤を経験してきました。「絶対に牧師にならない」と思っていた私が、献身するに至ったきっかけは、マザー・テレサとの出会いであり、「死を待つ人の家」でのボランティア経験でした。人と向き合い、寄り添って生きることの深い意味に気付かされたことが、人生の転機となりました。

聖書は、3つの形の賜物があると私たちに語ります。1つは神様から人に注がれるもの。二つ目は、その神さまからの恵みに応答する形で、人から神さまに捧げる献げ物などのこと。そして3つ目は、人から人へと送られるもの。これには信仰の継承、あるいは教会の歴史の伝承、喜びの共有、信仰に生きる喜び。そのようなことを指しています。この3つの形の賜物が、何1つおろそかにされることなく、喜びを持って共有され、活かされ、豊かに用いられていく。そこにこそ、教会本来のあるべき姿があります。

実は今日の聖書の箇所において、パウロは、一人ひとりに与えられた賜物が、活かされ、用いられた時、それは全体の益になると、全体を活かす豊かな恵みになると語っています。

今、私たちに求められていること。それはイエスの姿に倣い、社会の中でいと小さき立場に置かれている「見えざる人々」の声に聴くこと。見えざる人たちの声に気付き、その声を聞き逃さないこと。どのような小さな声であっても、その声が社会の中に美しく響くような環境を作っていくことなのです。それが全体が益となる教会の大切な働きだと思います。

原牧人牧師

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2022年09月20日

9月第4主日礼拝(聖霊降臨節第17主日)

       9月 25日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”見えざる人々の声に聴く”    原牧人牧師
聖  書  コリントの信徒への手紙一12:4〜11(新約p.315)
讃 美 歌  27、31、490、566、411、25
交読詩篇  詩篇40:1〜12(p.48)

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の礼拝案内

2022年09月19日

貧しいやもめの献金から見えてくる世界【マルコ12:41〜44】

テキストは神殿における献金の場面です。教会ではこのテキストを、献金の意味を考えたり奨励したりする場合によく用います。そうした直接的な引用理解はもちろん可能ですが、私はこの話を平和を考える際の価値観の問題として捉えました。イエスさまのお言葉には、「受け身の生き方ではダメだ」という意味があるのではないでしょうか。教会には一つの出来上がった空気があります。聖書を読み、礼拝を守り、祈る……そんな空気です。私はそれをとても大切なことだと考えますが、その中にはエアーポケットのような落とし穴もあるように思えてなりません。私たちキリスト者は社会的課題に何ができるかということにあまり注意を払ってこなかったのではないでしょうか。

テキストには、キリスト者への価値観への問題提起があるように思います。イエスさまは小さなレプトン銅貨2枚を献げた貧しい女性を指して、「誰よりもたくさん入れた」と言われました。十円玉2枚といったところでしょうか。この価値を、イエスさまは何よりも大きいと断定されたのです。貧しい女性は自分の持っているものをすべて献げました。

イエスさまが示された価値観は、すべて捧げることをもって標準とするという判断基準です。十円より千円は大きいという捉え方とはまったく違う標準を示しながら話が進みます。この標準こそがキリスト者が平和をつくり出す原動力です。この視座に立たないと、キリスト者の前進は覚束ないのです。持ち物をすべて捧げるような生き方をしたキリスト者は、マザーテレサのように現代でもたくさんいます。私たちもそういう生き方ができるか、それはあらかじめ分かりませんが、鍵は普段の信仰生活にあるようです。イエスさまは貧しい女性のそれを見抜いておられたのです。

聖餐式では、自分を神さまに聖なる供え物として捧げることを確認しますが、献金の精神はそういうことです。献金の捧げ方一つで、イエスさまにはその人の生き方が見えるのです。私たちは貧しいやもめの行為を通して、イエスさまから問いを受けています。イエスさまの問いに誠実に応えていく人間でありたいものです。 

秋葉正二牧師

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2022年09月13日

9月第3主日礼拝(聖霊降臨節第16主日)

       9月 18日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”貧しいやもめの献金から見えてくる世界”    秋葉正二牧師
聖  書  マルコによる福音書12:41〜44(新約p.88)
讃 美 歌  27、31、490、519、512、25
交読詩篇  詩篇40:1〜12(p.48)

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2022年09月12日

良い実は、良い木から【マタイ12:33〜34、箴言13:1〜2】

本日のテキストには「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。」と記されています。多分、ここでの木は「葡萄」、「無花果」、「オリーブ」などでしょう。それはユダヤでは、これらの作物が人々の暮らしを支えていたからです。しかし、この「木」や「実」は現実的な食物だけではなく、それは「良い木」である主イエス・キリストの教えを信じるか否かによって結ぶ「実」、つまり私たちの生き方が決まることを指し示しています。だから私たちが「悪い木」に繋がっていると、それは「蝮の子らよ」と呼ばれるかも知れません。なぜなら罪に罪を重ねて反社会的な生き方をするようにもなるからです。このことは、人が何か怪しげで、いわゆる破壊的カルトなどの宗教や思想に感化され依拠すると、その結果は人格破壊や破滅的な生き方をすることに重なります。そして、他者を巻き込み被害者の再生産にも繋がるからです。

私は40年以上、いくつかのカルト信者に関わり、多くの人たちに脱会カウンセリングをしてきました。その対象の多くの人は精神的な変調、変容を来し、多額の金銭を収奪され、また反社会的な行動に駆り立てられました。言うならば、これらの人たちの結んだ「実」は、正に「悪い実」だったと言えます。つまり「悪い木」に繋がったからです。ですから私たちは、まず自らが、この「悪い木」に繋がらないようにしなければなりません。そして同時に、このような木に誰もが繋がらないようにと啓発的な役目を担わなければなりません。端的に言えば、主イエス・キリストの福音に自らが生きて、そこから結んだ成果を人々に宣べ伝え、証をすることだと言えます。そして同時に「悪い木」の存在についての学びをも心がけることだと思っています。

岩ア隆牧師

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2022年09月06日

9月第2主日礼拝(聖霊降臨節第15主日)

       9月 11日(日) 午前10時30分〜11時30分
説  教 ”良い実は、良い木から”    岩ア隆牧師
聖  書  箴言13:1〜2(旧約p.1007)、マタイによる福音書12:33〜34(新約p.23)
讃 美 歌  27、31、490、201、534、25
交読詩篇  詩篇40:1〜12(p.48)

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ともだちである前に【ルカ10:25〜37】

今週の説教要旨はありません。
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