宗教改革者ルターのあるクリスマス説教の中に、次のような言葉があります。「神は上をご覧にならない。自分のより上の存在はいないのだから。神は横をご覧にならない。並びたつ者はいないのだから。神は下こそご覧になる。最も低い所にいる者をこそ、見られる。最も低い者のかたわらに、共にいるために」。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」(28節)。天使ガブリエルからこの言葉を聞いたマリアは戸惑い、この挨拶は何のことなのかと考え込んだとあります。当然のことでしょう。未婚の女性が身ごもることは、当時の社会ではむしろ恥ずべきことでした。それゆえ、天使が語った「恵まれた方」との言葉を、マリアは素直に受け入れることはできませんでした。
しかし「わたしは主のはしためです」と告白し、一連の出来事をすべて神の恵みの出来事として受け止めていきます。マリアは未婚の女性が身ごもるという、恵みの不在とも思えるような中にこそ、神さまが共におられることを確信したからです。自分の身に何が起ころうとも、すべてが感謝であり得ると。すべてが恵みの出来事であることを体感したのです。
今の社会には「どうして、そのようなことがありえましょう」と嘆かざるを得ない現実が至るところに溢れています。しかし私たちが恵みの不在と感じる中にこそ、神さまは共におられ、働いておられること。クリスマスの出来事はその証しなのです。
原牧人牧師