「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子
を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
(ヨハネによる福音書3章16節)
旧約聖書創世記22章はアブラハム物語の中のイサク奉献の箇所です。
アブラハムと妻サラの間には長い間子が与えられませんでした。99歳の時
「多くの国民の父」となるとの託宣があり、しばらくして念願の子が
与えられます。名をイサク(笑い)と言い、アブラハム100歳、サラ90歳の
時でした。あり得ない話に夫妻が苦笑いしたのが名の由来です。
喜びも束の間、神は「あなたの愛する独り子イサクをモリヤ(ヤーウェを見る)
の地で献げなさい」と命じます。神のご命令に従い、アブラハムは
翌朝イサクと従者を連れて旅立ちます。三日後に目的地(今のエルサレム)に
着き、そこで祭壇を築き礼拝をします。祭壇に薪が並べられ、犠牲の
献げものイサクを寝かせ、手に持ったナイフでイサクを屠ろうとします。
その時「アブラハム、アブラハム」、続けて「イサクに手をかけてはならない。
何もしてはならない。あなたが神様に従う真の信仰を持っていることが
よく分かった。愛する独り子イサクをわたしにささげることを惜しまなかったから。」
と言う天からのみ声がありました。
辺りを見ると木の茂みに一匹の雄羊が角をとられており、その羊をイサクの
代わりの犠牲の献げものとして屠りました。アブラハムはこの場所を
ヤーウェ・イルェ(主は備えてくださる)と名付けました。主の山に、
備えあり(イエラエ)。口語訳では、アドナイ・エレです。ヤーウェ・イルェは
ラテン語ではDeus providet(神が見る)と訳され神が必要なものを
予め備えてくださることを表し、キリスト教では摂理と言います。
先のことすべて神はお見通しなのです。必要なものはすべて添えて与えられる。
私たちに与えられた信仰の大きな恵みです。全てを備えて下さる主に
委ねるのです。主なるお方は私たちに必要なものを必ず備えて下さる、
その信仰の原点がここにあるのです。アブラハムは試練の中で礼拝を献げます。
それゆえに彼は信仰の父と呼ばれたのです。
米倉美佐男牧師