2023年01月02日

世界の創始【創世記8:13〜22】

今日、1月1日には初詣ということで神社やお寺に行くのが一般的ですが、この時期を元旦にした起源は教会です。明治に入るまで、暦は太陰暦で、元旦は2月3日頃、今の豆まきの時期です。明治に入って太陽暦を導入して以来、冬のこの日に1月1日を祝うようになったのです。

それでは、旧新約聖書全体において1月1日が最初に登場しているのは、どこかと言うと、創世記8章13節「ノアが601歳のとき、最初の月の1日に、地上の水は乾いた。ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた」です。

この箇所は、話の流れとしては、創世記7章6節、7章22節、8章3~4節の延長上にありますが、中でも注目すべきは、8章10節に、「更に7日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した」と、また8章12節に「彼は更に七日待って、鳩を放した。彼はもはやノアのもとに帰ってこなかった」と記されていることです。

以上によって浮上するのが、7日の意義です。今日最も一般的なのは、創世記2章1節の安息日です。その7日目は安息日と呼ばれ、律法とも置き換えられ、安息日論争が生まれ、そこから、レビ記23章41節のような主の祭としての7日間も関心が寄せられていますが、余裕としての7日に思いめぐらす者は、まずいないのではないでしょうか。勝海舟はその余裕の意義を語ったことでも偉大なのです。その余裕を心に秘めると、創世記8章7節、カラス「地上から水が退くのを待って・・」とあることに気づかされます。それによって、世界の創始を余裕を持って受けとめるだけでなく、カラスの眼差しからも受けとめるよう促していないでしょうか。

安田治夫牧師

posted by 行人坂教会 at 06:00 | 毎週の講壇から