私が最初にキリスト教を知ったのは、小学校の同級生が教会学校のクリスマス・パーティなどを楽しんでいたからでした。私は教会学校に憧れましたが、保護者が連れて行ってくれないと敷居が高いと感じました。私は小さな頃は親戚宅で育ち、実家に帰ってからも共働きの両親にあまり構われませんでしたから、「世話を焼いてくれる親」「家族連れの行動」を羨ましく思っていました。とはいえ親は教育熱心で、東京の大学・大学院に通うことを支えてくれ、私はそのありがたみを実感するようになりました。博士号を取らないと大学の雇用を打ち切られるという瀬戸際に立った時は、親の長年の支援を裏切ってしまうと絶望しました。そんな折、近所の猫(当時の小川牧師先生の飼い猫でしょうか)に招かれて見上げたのが行人坂教会でした。そこから「聖書と祈りの会」などに参加させていただき、心の支えを得て仕事や生活を立て直すことができました。
研究では「社会的ジレンマ」という問題を考えています。「全体としては協力した方が良いが、1人1人は『ただ乗り』した方が得」という構造です。社会ではよく見られるもので、例えば二酸化炭素排出を減らした方が地球環境には良いが各国は経済発展のために排出したいという問題や、小学校の給食を維持したいが給食費を払わない(払えない)保護者が増えると維持が難しくなるといった問題です。アメリカの研究者・アクセルロッド博士は、世の中に「常に協力する」「状況や相手に合わせて協力する」「常に協力しない」という行動がある場合、「常に協力しない」人を増やさないためには、
@最初は相手に親切に(niceに)振舞う、
A相手が親切なら親切を続ける、
B相手が裏切っても改心したらすぐ許す、
という行動を提案しています。こんな人が多い世界では、「常に協力しない」という行動は得にならないので、協力行動が増えると考えたのです。
キリスト教や多くの宗教は、「niceな人」を増やすことに寄与していると思います。特に大人が子供たちを育もうとすることはとても大事で、それは人生で他者と「長いおつきあい」をする上での礎になると感じています。
谷口尚子さん