2014年06月23日

心を入れかえる【マタイ21:28〜32】

聖句「兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。…弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。」(21:29,30)

1.《一枚の絵》 亀水松太郎は十代から遊興に明け暮れた挙句、強盗を重ねて逮捕され、当時「もはや生きては帰れぬ」と言われた北海道の空知集治監に送られました。ある日、囚人仲間が裸で十字架に磔にされた男の絵を眺めていました。松太郎は「俺より悪党がいるもんやな」と笑いましたが、仲間から「これがキリスト、贖い主」と説明を受けて、人生が変わるのです。キリスト者の囚人仲間や看守、教誨師の信仰にも支えられるのでした。これを機に悔い改めた松太郎は、恩赦を得て出獄した後に、牧師となるのでした。

2.《涙の意味》 父親が息子たちに、葡萄園の仕事を手伝ってくれるように頼みました。兄は拒否しますが、考え直して出掛けました。弟は色よい返事をしたものの、結局、出掛けませんでした。イエスさまは、悔い改めてヨハネに洗礼を受けた徴税人や娼婦の心を大切になさいます。私たちは「ひとかど」の人間だと思っていますが、流れる涙は、私たちが「ひとかど」どころか、「人並み」ですらもなく、「取るに足らぬ者」であること、単なる罪人でしかないことを教えてくれるのです。それが「徴税人と娼婦の涙」「ペトロの涙」です。

3.《うわの空》 祭司長や長老たちは、洗礼者ヨハネに理解を示していました。その姿とメッセージによって、預言者と認めて、評価していました。しかし、彼らは出掛けては行きませんでした。信じて、悔い改めようとはしませんでした。「後で考え直して」とは「悔い改め、心を変える」ことを意味します。結局、地位の高い人たちは「うわの空」だったのです。どんなに頭が良くても「うわの空」の人は一杯いるのです。教会にも聖書を熟知する人、賛美や祈りの上手な人、学問のある「先生」がいますが、それは「お利口さんの良いお返事」に過ぎません。本当の信仰は「心を入れかえて」人生が変わってしまうことです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 16:50 | 毎週の講壇から