2014年07月21日

何のために走るのか【フィリピ3:12〜4:1】

聖句「神がキリスト・イエスによって上へと召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(3:14)

1.《一人の道》 女性デュオ、ピンク・ピクルスの「一人の道」(1972年)は、東京オリンピックで銅メダルを受賞しながらも、4年後に自らの命を絶った円谷幸吉選手の遺書を参考にして作られた歌です。アスリートたちが負わされる深い孤独と痛みを思います。パウロの時代にも、ギリシアでは4年に1度のオリンピア祭(古代オリンピック)は開催されていました。彼が譬に使っているのは、マラソンではなく「ドリコス走」(4608メートル走)のことです。

2.《求める道》 キリスト教は「悟りの宗教」ではなく「求める宗教」です。「悟り」が徹頭徹尾、自分を対象化する作業であるのに対して、「求め」は常に相手を必要とします。しかし、求める相手が誰であるかによって、私たちの求める「求め」の質や内容が自ずと変わって来るのです。誰も貧乏人の家に金の無心に行かないのと同じです。「御利益宗教」を見れば分かるように、商売繁盛、家内安全、学業成就、厄除けと、行き先の寺社仏閣によって御利益が明瞭です。けれども、これでは、もはや「神の世界」ではなく「人の世界」です。

3.《私の利益》 それでは、私たちの利益とは何でしょうか。何が自分に幸いするのか、本当は、私たち自身にも分からないのです。目先の欲得だけ追いかけて、本当に幸せに成れるでしょうか。私たちの真の利益を知っているのは、神さまなのですから、神さまに尋ねなくてはなりません。「御利益信仰」では「鏡の前に立つ」だけで、人間の欲望を映し出すばかりですが、私たちの信仰は、自らの「心の窓を開ける」ことなのです。パウロも、自分の肉を頼りにするのは止めて、神の霊を頼る生き方に転換した経緯を開陳しています。信仰においては、自分のペースで走れば良いのです。但し、目標と方向だけは間違ってはいけません。自らが神仏に成ることではなく、キリスト・イエスを求めるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:26 | 毎週の講壇から