2014年07月23日

幽径耽読 Book Illuminationその16

  • 「ジョナサンと宇宙クジラ」(ロバート・F・ヤング著、伊藤典夫編・訳、ハヤカワ文庫)
    二男が小学生の時、アンドロイド教師と子どもたちとの交流を描いた『ケンジ先生』というお芝居をしました(演劇集団キャラメルボックスの成井豊の台本)。その元ネタは、ヤングの「九月は三十日あった」だったのです。ヤング作品の重要なテーマの1つに、異種族間の恋愛があることに気付きました。アンドロイド教師、異世界から来た絵描き、宇宙クジラ、テレポートする宇宙犬、異星人のドクター、どれも主人公に絡む女性です。最も哀切な物語「いかなる海の洞に」等は「異種婚姻譚」の典型です。旧約聖書が盛んに引用され、ギリシアや北欧の神話表象も多数出て来ますが、現代社会が舞台であるだけに、読者に奇妙な歪み(不安と恐怖)を感じさせるのです。その意味では、楳図かずおの「半魚人」に似ています。但し、仄かに茜さす朝まだきのような余韻の残る終わり方が切ないのです。
  • 「プリニウス」第1巻(ヤマザキマリ×とり・みき作、新潮社)
    マンガの作画コラボは珍しいですね。しかも、主人公が博物学者のプリニウスです。リアリズムを基調とした画の中に、存在しないはずの半魚人やマンドラゴラが出て来たりします。食べる場面、入浴する場面、旅する場面、自然現象や動植物についての薀蓄を垂れる場面の連続で、作者たちの関心事、つまり「生きるとはコレ!」がよく伝わります。今の日本のテレビがつまらないのは、芸能人や有名人に、その類いをさせての番組作りに終始しているのに、それに反比例するように、私たちは、そこから遠ざけられているのです。芸人が食ったり風呂入ったりするのを見せられて、何が楽しいのか。正直、視聴者はコケにされています。
  • 「混沌ホテル」(コニー・ウィリス著、大森望訳、ハヤカワ文庫)
    降参です。白旗を掲げます。表題作は、国際量子物理学会がハリウッドのホテルで開催されて、文字通り「カオス理論」の様相を呈する話。「女王様でも」は、生理をテーマにしたSF。「インサイダー疑惑」は、自称「霊能者」のマインド・コントロール・セミナーをテーマにしています。「魂はみずからの社会を選ぶ#1」に至っては、エミリー・ディキンスンが彼女の難解な詩によって、(H・G・ウェルズ『宇宙戦争』の)火星人を撃退するまでが、文芸批評誌のパスティーシュで綴られています。特に、脚注の「わたしにとってのアマーストは、赤毛のアンがいないアヴォンリー」「レイチェル・リンド夫人で構成されている」退屈な街と喝破しているのを読んで、大爆笑でした(新島譲が聞いたら泣くよね)。「まれびとこぞりて」は、異星人とのコミュニケーションがテーマですが、その鍵と成るのが聖歌隊とは…。「賛美歌は、三番の歌詞、五番の歌詞が一番ひどい」という著者の意見に、また爆笑。教会の聖歌隊メンバーとして30年以上奉仕した著者ならではの味わい深い指摘です。
  • 「無伴奏ソナタ〔新訳版〕」(オースン・スコット・カード著、金子浩訳、ハヤカワ文庫)
    「死すべき神々」は、永遠の命を持つエイリアンが地球にやって来て、定住し、地球の各種宗教施設を真似た建造物を各地につくり、死すべきものである(mortal)が故に人間を礼拝するという、不思議な発想の物語です。モルモン教の大聖堂が出て来たのは、単に舞台がユタ州だからかと思っていました。「解放の時」は、自宅に帰ったら書斎に見知らぬ遺体の入った棺が(モノリスのように)置かれているという不条理な物語。ここにもモルモン教のビショップが登場したり、信徒の生活や思考が描かれていて、漸く著者がモルモン教徒であると分かりました。それが分かると、不妊症のマークとメリージョー夫妻の苦悩が理解できます。それにしても、こんなにリベラルで、異文化や他宗教を尊重して多様な価値観を受容するモルモン教徒がいるのですね。自らの偏見と先入観を恥じます。文句なしに素晴らしいのは表題作、有名な「エンダーのゲーム」、四肢麻痺の少女がヒロインの「磁器のサラマンダー」、ビアフラの生き残りの少女の成長を描いた「アグネスとヘクトルたちの物語」も全て、他者優先の思想が背骨として通っていて、感心しました。
  • 「二つ、三ついいわすれたこと」(ジョイス・キャロル・オーツ著、神戸万智訳、岩波書店)
    多分、私にとっては一番縁遠い世界が舞台です。アメリカの金持ちの子女が入る名門私立学校、女の子たち数人のグループを中心にした物語です。ティンクという少女が中心にいて、ドラマ展開の原動力なのです。ところが、彼女が死んでしまった後から物語り始められているのです。その癒し難い喪失が、やがて少しずつ女の子たちを繋ぎ直して行くのです。そもそも「religion」とは「繋ぎ直す技」であったと、改めて思い出しました。何しろ、既に死んでしまった少女がヒロインで、しかも、彼女が生き続けている他の子たちの魂に働きかけ、人生に介入して来るのです。これがreligionでなくて何でしょう。癒し得ない深い傷、重いダメージであればこそ、そこから生まれる何かがあるのかも知れません。
  • 「胸の火は消えず」(メイ・シンクレア著、南條竹則訳、創元推理文庫)
    ゴーストストーリーは、必然的に、人間の生と死の問題を扱うことになるのです。つまり、作者の死生観が隠しようもなく露呈される訳で、大抵は、浅墓な故の幽霊登場となります。思わず「もっと深く埋めろよ!」と怒鳴りたくなります。しかし、勿論、メイ・シンクレアは違います。やはり、評判通り「仲介者」と「被害者」が傑出しています。「仲介者」には、両親のネグレクトの結果、死んだ幼児の幽霊が出て来ます。幼児虐待や育児放棄をテーマに、今から百年以上も前に書かれた物語があったのですね。同じく「被害者」も、犠牲者が加害者を許す物語なのです。因果応報と怨念と呪縛が主流の日本の幽霊ものでは、ちょっと考えられない設定です。霊的な力を与えられたがために苦労するヒロインの「水晶の瑕」は、ケイト・ブランシェット主演の『ギフト』を思い出させます。
posted by 行人坂教会 at 10:17 | 牧師の書斎から