2014年07月28日

イエスさまのしつけ【エフェソ6:1〜4】

聖句「父親たち、子供を怒らせてはなりません。主がしつけ諭されるように、育てなさい。」(6:4)

1.《しつけ糸》子育中の親たちは「躾がなっていない」と責められているように感じて、子どもに暴力を振るってしまうことがあります。小児科医の内藤寿七郎によれば、本当の「しつけ」は和裁の「しつけ糸」から来ているのだそうです。襟などの癖付けのために、弱くて切れ易い糸を使うのです。「仕付け」は「馴染ませる」ことに過ぎず、切れても構わないのです。何も縛り付ける必要はなく、優しく、緩やかに、根気強く働き掛けるのです。

2.《父なる神》聖書の神は伝統的に「父なる神」と唱えられて来ました。どうして聖書の神は「父」の表象を帯びるように成ったのでしょうか。紀元前586年の「バビロン捕囚」以後にシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)が生まれ、やがて、少年たちが律法を学ぶ寺子屋のような私塾も併設されるようになります。しかし、それ以前には、父親こそが子の祭司であり、教師だったのです。「父/アーブ」とは「導く者、教師」の意味であり、ヤハウェこそはイスラエルを導く唯一の「父」と呼ばれたのです。その流れで、人々は預言者や祭司にも「父よ」と呼び掛けたのです。今でもカトリックの司祭を「神父」と言っています。

3.《霊肉の糧》新約聖書では、再び教育の中心は家庭に戻って来ます。「父と母を敬いなさい」はモーセの十戒です。幸福の約束も「申命記」律法をそのままに受け継いでいます。「子供を怒らせる」は「興奮、激昂させる、刺激する」ことです。赤ちゃんをビックリさせてはいけないのと同じです。父親が怒鳴ったり、暴力を振るって、子どもを臆病にしてはいけない(コロサイ3:21)のです。「育てなさい」は「養う、滋養を与える、大きくする」です。まさに「食育」です。但し、聖書ですから「肉の糧」だけで足れりとはしません。「霊の糧」も必要です。私たちの体は、私たちがこれまで食べて来た物で出来ています。私たちの霊も、これまで私たちが信じ、望み、愛したもので出来ているのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:47 | 毎週の講壇から