2014年08月11日

自己を中心に愛を叫ぶ【マルコ11:12〜14、20〜25】

聖句「イエスはその木に向かって『今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように』と言われた」(マルコ 11:14)

1、《自己中・逆切れ》 イエスは実がなる季節ではなかったいちじくの木に実を期待します。しかも、実がなっていないことを知ると、怒って木を枯らしてしまいます。「季節ではなかった」のですからいちじくの木に全く罪はありません。まさにここでのイエスは自己中であり、逆切れしてしまっています。なぜ、この不可解なイエスの行動を福音書は記録しているのでしょうか。

2、《聖書に聞け》 「わからない聖書箇所は聖書に聞け」とは、私が行人坂教会CS生徒時代に安田校長先生から教わり今でも大切にしている言葉です。同じ11章にヒントがたくさんあります。11章1節「棕梠の主日」の箇所で、民衆はイエスをローマ帝国をやっつけてくれる凱旋将軍のようにヒーローとして迎えますが、イエスはロバに乗ってやってきます。イエスに季節ではない期待をしていたのです。11章15節「宮清め」の箇所で、民衆はイエスを政治改革をしてくれるヒーローとして期待します。11章27節「権威についての問答」で、民衆はイエスを先代の悲劇のヒーロー、バプテスマのヨハネの再来ではないかと期待します。しかし、イエスはそのようなこの世的なヒーローではありませんでした。そのことがわかると、民衆はイエスを十字架につけて殺します。わずか数日後に、です。

3、《小さい十字架》 そう、枯らされたいちじくの木は十字架でありイエス自身を指し示しています。この不思議な記事は、受難の物語を煮詰めて凝縮したものであると思います。もちろん私たちは、いちじくの木を枯らしたことも、人を十字架につけて殺したこともありません。しかし、小さい意味での十字架…「自己中・逆切れ」を起こしてしまっているのではないでしょうか。

蒲生教会牧師 伊藤義経

posted by 行人坂教会 at 22:57 | 毎週の講壇から