2014年08月18日

身体を張って受け入れる【使徒言行録9:10〜20】

聖句「すると、主は言われた。『行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。』」(使徒言行録9:15〜16)

1、《なさけなさという助け》 初めて「統一協会」に出会ったのは、大学1年の夏。駅前で話しかけてきた女性信者の熱心さにひかれて、「教会」への招きに応じてしまった。夕食の時に、会を仕切る青年が熱心に話しかけてきた。「今のキリスト教は行き詰まっている。だが本物の救いに出会える世界がここにはある。一緒に来ないか。」二度と足を踏み入れなかった。何故?メシが貧弱だったから。夕食があれでは、健康を損なうぜ。でもその後三日間は自己嫌悪で外に出られなかった。理想に燃え、福音のために(実は福音ではない!)自分を投げ打っている人たちを見限ろうとしている。「おれは何と自分に甘い、ダメな奴であることか。」そのなさけなさが自分を守ったと知ったのは、何年も経ってからだった。

2、《回心のB面》 回心とは「こんなにダメな奴だった私が、イエスに出会い、人生やり直しました」?けれども今日の聖書を読むと、回心が時間的な幅のある出来事だとわかる。大事なことは「どれほど立派になったか」ではなく「その人の人生に、神がいかに深く関わっておられたか」である。大事なもう一点は、他者との出会い・交わりである。真の回心は必ず、隣人との出会いとなって現れる。サウロの回心がなければ、私たちがイエスを信じることもなかったかも知れない。回心によって、サウロの人生も変えられた。同胞からは目の敵にされ、異邦人からも憎まれた。苦しみを避けるために信仰を棄てることを、パウロはいつでも選べたはずだ。それでも棄てなかったのは「神様がわたしを選んだ」ことを受け入れていたからだ。その芯にある「受け入れられる」姿勢を、体を張ってパウロに教えたのはアナニアだった。

3、《大きな愛より小さな親切》 「マインド・コントロールの恐怖」の著者でもと統一協会の活動家、スティーヴ・ハッサンはある日、カルトの素人からミニ介入を受けた。そこで転換が起こったのではない。しかし「親切」という形の介入は、彼が脱洗脳するときの助けとなった。神が語りかけた言葉は、体温のある、人間同士の関係に戻し入れられることで、豊かに肉付けされる。小さな親切の背後に、確かな愛を感じ取れるようでありたい。

秋南教会牧師 安藤昭良

posted by 行人坂教会 at 10:17 | 毎週の講壇から