2014年09月08日

それじゃ、アバよ【ガラテヤ4:1〜7】

聖句「あなたがたが子であることは、神が、『アッバ、神よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。」(4:6)

1.《我らの祈り》 「主の祈り」は、イエスさま直伝の唯一の祈りです。大変に有り難い祈りなのです。御子の祈りですから、父なる神に届かないはずはありません。しかし、ルターが「史上最大の殉教者」と言っているように、「主の祈り」程に頻繁に唱えられることで軽んじられた者はありません。古代エルサレム教会では会衆が共に唱和する祈りだったのですが、司祭の唱えるお経のようにされていたのを、再びプロテスタントが「我らの祈り」として取り戻したのです。

2.《天の下の子》 「天に在します我らの父よ」の「天」は複数形、旧約聖書に言う「諸々の天」です。どんなに遠い異国にあろうとも、どんな状況の下にあろうとも、仰ぐ天から神は見守って居られるのです。「天」は、私たちには見えない世界、私たちの手の届かない所という意味です。まさに「お手上げ」なのですが、それだからこそ祈るのです。そして、たとえ私たちには届かなくても、神さまは私たちに御手を伸ばして下さるのです。主の御手は届くのです。

3.《幼な子の心》 私たちは、イエスさまの受肉と受難、十字架の死によって罪から解放され「神の子」とされたのです。「神の子」と呼ばれるに相応しくない者でありながらも、主もまた「私の兄弟姉妹」と呼んで下さるのです。立派な人、義人が「神の子」ではありません。それは「律法」の論理です。そうではなく「天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、雨を降らせて下さる」と胸に刻みつけた人こそが「神の子」です。故に「福音」なのです。イエス御自身は神さまに「アッバ」と呼びかけられました。「父よ」等という格式張った呼びかけではなく、「アブアブ」と同じ幼児語です。御子イエスの霊を受けて、イエスさまと同じ心で、私たちが神に呼びかける時、聞いて下さるのです。まさしく「心を入れ替えて、幼な子のようになる」ことです。それは難しいことではありません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:05 | 毎週の講壇から