2014年10月13日

491回目のゆるし【マタイ18:21〜35】

聖句「イエスは言われた。『あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までもゆるしなさい。』」(18:22)

1.《七の七十倍》 その昔『491』というスウェーデン映画がありました。非行 

 少年と共同生活を営むことで、彼らの自主的な更生意欲を高めようという社会実験が行なわれるのですが、却って、少年たちは増長して、その試みは無残な失敗に終わるのです。その題名は「7の70倍までゆるしなさい」という聖書のもじりです。計算すると「7×70=490」ですから、少年たちの悪行がゆるしの限度を超えているということを表現していたのでしょう。

2.《倍返しだ!!》 昨年の流行語大賞はドラマ『半沢直樹』の「倍返しだ!!」でした。支店長には「10倍返し」、常務には「百倍返し」とエスカレートしましたが、「倍返し」と同じ発想が「創世記」にあります。「カインのためには7倍の復讐」、その末裔「レメクのためには77倍」と歌われるのです。ペトロの「7回ゆるし」、イエスさまの「70倍ゆるし」(77倍とも)はその裏返しです。当時は「仏の顔も三度」でした。それを「7回」と完全なゆるしを言うペトロに対して、主は「際限のない復讐に対抗するには、際限のないゆるしを」と仰るのです。

3.《踏み出す力》 「主の祈り」の「我らに罪を犯す者を我らが許す如く、我らの罪をも赦し給え」は、私たちの喉に刺さった小骨のようです。カルヴァンは「神でない我々は赦せはしない。忘れるのみだ」と言いました。確かに、ゆるしは神の御業です。にも拘わらず、この祈りが加えられているのは、私たちに神を信じて一歩前に進むことが促されているのです。終戦直後の韓国の教会では「日本憎し」の思いが強く、礼拝の中で泣きながら唱えたと聞きました。そのような真剣さが私たちにあるでしょうか。人が許せなくても神は赦して下さるのです。もしも、この祈りを唱える時、私たちが居心地の悪さで感じるとすれば、それは、私たちが十字架のイエスさまの御前に立たされているからに他なりません。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:49 | 毎週の講壇から