2014年10月20日

わたしはかとりせんこう【コヘレト1:18】

聖句「知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みも増す。」(1:18)

1.《「可」取り》 疎開した1年を除けば、下目黒の生家で少女時代を過ごしました。小さい頃は、二卵性双生児と言われるくらい弟と似ていました。しかし、私は運動が上手く出来ず、通信簿で体操に「可」(当時の落第ギリギリ)を点けられてしまいました。兄姉たちから「可取りせんこう」とあだ名を付けられ、その時、いつか見返してやろうと心に決めました。その思いが私を、苦手な運動や英語の勉強に向かわせたのでしょう。

2.《教会に行く》 信州の疎開から戻ると、東京は一面焼け野原で、生家の焼け跡にコスモスが咲いていました。闇市で買った「クリスマスの表紙の本」は、実は聖書でした。弟に導かれ、行人坂教会で私も受洗しました。「聖書のことが分からない」と受洗を渋る私に、木村知己牧師は「宗教学者になりたいの?」、「自分は未熟だし」と言えば「道徳家になりたいの?」、「大切なことは、イエス・キリストを信じることだけ」と諭されて入信しました。しかし、洗礼を受けても世界が変わった訳もなく、次第に教会と距離が出来てしましました。

3.《40歳の出発》 夫から、G・オニールの『40歳の出発』という本をプレゼントされて、一念発起しました。夫や子のために生きて来た自分の人生をギアチェンジすることを勧められていたのです。「可取りせんこう」汚名返上のために、日夜祈り、運動と英語の勉強をし、米国のボール州立大学で日本語を教える傍ら、米国経済史を勉強するチャンスが与えられました。お世話になったホストファミリーの2家族からも、第一長老教会、ユニテリアンと、それぞれに豊かな信仰を垣間見ることが出来ました。今は「聖書と祈りの集い」を生活の中心にしています。聖書を読んで語り合う中で、聖書は奥が深く、簡単な答などなく、むしろ、何が神の御心なのか問い続けることの大切さを学んでいます。老いと筋力の衰えを実感する昨今ですが、最後のステージにあっても前向きに生きたいと思います。

阿部弘子

posted by 行人坂教会 at 12:17 | 毎週の講壇から