2015年01月26日

羊の群れには山羊が要る【マタイ25:31〜40】

聖句「すべての国民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。」(25:32,33)

1.《羊の比喩》 旧約聖書では「羊飼い」と「羊の群れ」は「ヤハウェ」と「イスラエルの民」に、新約聖書では「キリスト」と「教会の信徒」に例えられます。英語の「牧師/パスター」も「羊飼い」のことです。しかし、イメージだけが独り歩きした結果、余りにも理想化され、現実から遊離しているのです。

2.《羊と山羊》 実際、私たちは羊を飼ったこともありません。羊のこと等、何も知らないのです。私たちは勝手に右に置かれる「羊」は「良い信徒」で、左に置かれる「山羊」は「不信者」と、余りにも図式的に読んでしまいがちです。しかし、飽く迄も、主の裁きの的確さを羊飼いが分類する手際良さに例えているのです。むしろ、古くは、山羊は羊よりも大切にされていました。律法でも「食べてもよい清い動物、神に奉げられる供え物」とされています。「羊」には「迷える羊の群れ」という悪いイメージ(エレミヤ書50章6節)もあるのです。よく羊は迷うのです。反対に「迷子の山羊」「迷える山羊の群れ」等と聞いたことがあるでしょうか。山羊は羊の群れを導くことさえも出来るのです。

3.《山羊の価》 それなのに、中世以降「山羊」は「悪魔」の図像として使われるようになりました。作家の森達也は、モンゴルの羊の群れの中に、必ず山羊がいることを発見しました。羊は集団同調性が高すぎて、草葉を食い尽くしても移動しないのです。山羊は行動的なので、草葉を移動し、結果的に羊の群れを導くのです。震災以後、森達也は「不謹慎」という語に危険を感じて、日本人は「羊度」の高いので、私たちの中の「山羊度」を高めようと提案して居られました。教会も「従順な羊の群れ」を強調する余りダイナミズムを失っています。しかし、ここに描かれた(最も小さい者にする)良い行ないは「集団行動」ではなく「単独行動」です。世に迎合せず自己充足もせず、「山羊度」をアップしましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:44 | 毎週の講壇から