2015年02月02日

イヤな奴らもご大切?【マタイ5:43〜48】

聖句「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。」(5:44,45)

1.《七人の敵》 イエスさまの教えには、実行困難と思われるものが数々ありますが、その中でも、皆が投げ出したくなるのが「愛敵」の教えです。特に「敷居を跨けば七人の敵あり」の男性諸氏からは評判の悪い。多くの信徒も「敵を作らない」努力、「敵対関係にならない」努力をしているのに過ぎません。

2.《愛の課題》 この「愛敵」の教えを掲げていながら、キリスト教会の歴史もまた抗争に次ぐ抗争でした。迫害を受けていた時代はともかく、政治権力に承認され、制度と教義を確立させ、教会が財産や領土、既得権益を持つようになってからは戦争の仕掛け人にもなりました。宗教改革も戦争をもたらしました。海外伝道も列強の植民地獲得競争とリンクしていました。近代になって漸く「住み分け」を学び、抹殺し合うことを止めたのです。教会もまた、愛の教えを実践して来なかったのです。ならば「看板に偽りあり」として、潔く愛の一枚看板を降ろすべきでしょうか。否、これが無ければ本当の地獄になります。むしろ、偽善者と罵られても、この看板を担って歩むところに愛敵は始まるのです。

3.《御大切に》 これは私たちが一生を賭して担うべき課題なのです。実行が困難であればこそ祈り続けなければならないのです。祈りとは、水を打った静けさの中に神と向かい合うことばかりではありません。悩み苦しみに拉がれても、苛々した気持ちを責められても、神に向き合うのです。この課題は、私たちの死後にまでも 及ぶのです。キング牧師は「愛敵」の根拠として、憎しみの連鎖が憎しみを増すこと、憎しみは自身をも歪めること、悪循環を断つのは愛しかないことを主張しています。『どちりな・きりしたん』は「アガパオー」を「御大切」と訳しました。私の敵であっても、誰かにとっては、大切な人かも知れません。況して、神さまは大切になさることでしょう。課題として担い合いましょう。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:47 | 毎週の講壇から