2015年04月06日

球根の中には花がある【Tコリント15:35〜49】

聖句「あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。」(15:36)

1.《目黒川の桜》 近年の花見客の激増には目を見張るものがあります。某タウン情報誌の「全国のお花見スポットランキング」で、六義園や上野公園を押さえて目黒川が第1位に選ばれてしまったのです。また、ドラマ『最高の離婚』や某保険会社のCMが目黒川を舞台にしていた影響もあるでしょう。しかしながら、所詮「人気」は「移り気」です。桜の花のように散ってしまうのです。

2.《若さと老い》 観世流の謡曲に『不断桜』という不思議な物語があります。四季折々に絶えず花を付ける桜の樹を見ようと、都から伊勢国へと訪ねて来た人がありました。彼は桜の樹の下に寄り立つ翁から「不断桜」の由来を聞くのでした。翁に勧められるまま、桜の樹の下で一夜を過ごしていると、白髪でありながら元服前のように若々しい、少年の姿をした桜の精が現われて、彼を夜明けまで舞楽をもって持て成します。一般に桜の花は短命、若死にの象徴とされ、武士の潔さや特攻隊の散華に図式的にイメージされて来ました。しかし、この「不断桜」は古木でありながらも、老人と見えて若々しさをも湛えているのです。蘇りや復活を連想させ、命の神秘が込められているのです。

3.《再会の希望》 キリスト教は「死者の復活」を信仰し続けて来ました。「使徒信条」や「ニケア信条」でも最も大切にされる信仰内容です。イースターはもとより毎週の「主日」も復活を祝って為されるのです。しかし、イエスさまの復活も、死者の復活も目にしたことのない現代の私たちにとっては、少し実感が湧きにくいのも事実です。それでは、このように考えてみましょう。「あなたには、もう一度、会いたい人はいませんか?」と。先立って逝ってしまった愛する人たち、彼らとの再会の時が巡り来るのです。それこそが「復活」ということです。「死者の復活」を信じるとは、「もう一度あの人に会いたい」と願う気持ち、その願いが叶えられると信じる心です。その決意表明をして行くことなのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:48 | 毎週の講壇から