2015年04月20日

わたしにあるもの探し 【マタイ25:14〜30】

聖句「しかし、1タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠して置いた。」(25:18)

1.《遣り繰り算段》 余りの物忘れに、自分が何の失せ物探しをしていたのかすら忘れてしまうことがあります。それに比べると、主人から「怠け者の悪い僕」と叱られる人は、お預かりした金を返却していますから立派です。しかし、主人が求めているのは「資金運用/マネージメント」です。「僕」と言っても「奴隷」ではなく、自由裁量を認められた管理者だったのです。

2.《賜物に気付く》 失せ物探しの時には、無い物を探します。あるはずなのに無い、どうしても見つからない時があります。逆を言えば、あるのに探さなくてはならない何かがあるのです。落語の柳家小三治はその日の体調や気温、客層、世相を思い巡らせて、高座に上がってから演目を決めることで知られています。喉を痛めた時、泥棒がひそひそ話をする『転宅』を演じて、自分の弱みを最大限に生かしたのです。1タラントンは労働者の16年分の賃金に匹敵します。巨額のお金を預ける程に、主人は僕たちを信頼していたのです。金額に差をつけたのは、各人の器量を見極めてのことでした。

3.《恵みを生かす》 1タラントンもの大金を預かっていながら、僕は「自分には1タラントンしかない」と思ったのです。あるのに気づかなければ、無いも同然です。教会や家庭、人生にも通じることです。それぞれが預かってるものが違うのですから、他と比較して「あれが無い」「これが無い」と言い始めたら、折角の恵みも無駄になります。友人のT牧師は自身も精神障碍体験者で、「べてるの家」の当事者研究に学んだ結果、「弱さを元手に」を教会のテーマとして掲げました。地方の小規模教会で礼拝出席は十数人、しかし、そのままの状態で、60年間も神の御手に守られて、その教会は存続しているのです。教会がその地域のその場所に立てられている。他が代わることの出来ない恵みなのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:48 | 毎週の講壇から