2015年04月27日

共に働き、共に休もう【マタイ11:20〜30】

聖句「疲れた者、重荷を負う者は、誰でもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(11:28)

1.《労働聖日》 メーデーは1889年「第二インターナショナル」創立大会で「労働者国際連帯の日」が制定され世界中に広がりました。1955年、共産主義に敵愾心を燃やす教皇ピウス12世は同日を「労働者聖ヨセフの日」と布告しました。しかしながら、日本基督教団の「労働聖日」は、むしろ、メーデーに行くような労働者とも連帯して祈ることを目的として制定されたのです。

2.《捨て台詞》 その背景には、教団の「労働者伝道・職域伝道」の試みがあったのです。終戦から1950年代、海外の資金援助を受けての伝道でしたが、思うように教勢は伸びません。その反省から「教会の体質改善」が求められ、労働現場に入って行く牧師や信徒の働きがあったのです。イエスさまのガリラヤ伝道も失敗しました。ガリラヤ湖沿岸の町々を名前を挙げて、嘆きと呪いを吐き捨てている(21〜24節)のが何よりの証拠です。これは、イエスさまの「捨て台詞」だったのです。しかし、そこで終わらないのが福音の福音たる所以です。その直後に、イエスさまは神さまに感謝を奉げられるのです。

3.《方向転換》 ガリラヤ伝道の失敗から何か新しいことに気付くのです。人々の無理解や無関心にも、神の深い御心があるのではないか。むしろ、ここから自分たちの使命が始まるのではないか。「知恵ある者や賢い者」(有識者)に向けて福音を伝えようと焦っていたが、「幼子のような者」(庶民)の心に、自分たちの言葉は届いていただろうか。貧しい人たちの声に、自分たちは耳を傾けていただろうか。そのことが意識された時、初めて、あの有名な聖句が宣言されているのです。軛は複数の牛を繋いで耕作させるための農具です。独り行く歩みは辛く、独り負う荷物は重いのです。しかし、働くのも一緒、休むのも一緒だから軽やかなのです。主御自身と主を信じる仲間たちが一緒なのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:56 | 毎週の講壇から