2015年06月15日

二人の家出【ルカ15:11〜32】

聖句「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。」(15:11,12)

1.《人間の成長》 人間は叱られるだけではやりきれない。その怒りが、裁きが、正しければ正しいほど人は救われない。そこには逃げ場がない。逃げ場のない場所で裁かれると、人は滅びる。そうではなく有罪を確定した上で、同時に償いの終了を宣言、そして自由と解放へ誘う言葉が語られて、初めて人は立ち上がり歩き始める。人は裁かれることで成長するのではない。裁きの中で弁護され、抱きしめられることで成長する。このような天の父の言葉が聖書に溢れている。

2.《問題の家庭》 このような父親がいる家庭は少々問題を起こす。この家庭は家出人だらけ。弟は物理的に家出するが、兄は精神的に家出している、片方が帰宅すると片方が家出。イエスさまの前では、みんな家出人。みんな間違っている。そしてみんな愛され、みんな今日も探されています。

3.《家出の教会》 礼拝に出ている皆さんは、放蕩息子のお兄さんです。放蕩息子はイースターやクリスマスに教会に来る人です。その後また家出する。もう来ていない。そんな弟を見送り、しかも主任牧師のいない時も礼拝を守るなんて、みなさんお家に残ったお兄さん以外の何者でもない。しっかりと父の家を守っている。えらい。しかし、お家に残った形の家出人かも知れない。天の父への思いは、実は何年も前から離れている…そのことは、あなたの心が知っている。それでいい。お兄さんだからといって、正しくなければいけない訳ではない。あなたも間違っていていいし、家出人でいい。探されるために。愛されるために。これは教会の姿。教会にどれだけの人が帰ってきたのでしょう。そして同時に、どけだけの人が再び家出したことでしょう。物理的に、精神的に。だから増えもせず、減りもせず。でも神様は、教会にそれをお許しになったのです。

塩谷直也牧師(青山学院大学)

posted by 行人坂教会 at 18:44 | 毎週の講壇から