2015年06月22日

光を指さす人【ヨハネ1:6〜18】

聖句「彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。」(1:7)

1.《ボルジア家の圧政》 往年の名画『第三の男』の中に、犯罪者のハリー・ライムが自らの悪の哲学を開陳する場面があります。「ボルジア家の圧政がイタリアではルネサンスを生んだ。だが、スイスの平和が何を生んだか。鳩時計だとよ」。その台詞を巻頭言にして、星野之宣の『ボルジア家の毒薬』は、ルネサンスの光と闇を描きます。そして、その引き裂かれた魂の祈りとして、レオナルド・ダ・ヴィンチの『洗礼者聖ヨハネ』を提示して終わるのです。

2.《洗礼者聖ヨハネ》 レオナルドの最晩年の作とされており、『モナリザ』と同じように、性を超越した人物が不思議な微笑みを湛えています。十字架の杖は「見よ、神の小羊」を、人差し指を天に向けるポーズは「天から来る救い主」を指し示しているのでしょう。東ローマ帝国時代の聖遺物には「洗礼者ヨハネの腕」もあります。その右手はキリストを指し示したが故に、聖なるものとされているのです。目に見える物を用いて、目に見えない昔の出来事を語らせようとしているのでしょう。私たちが「聖地旅行」をするのと同じです。

3.《光は万人の上に》 6月24日は夏至、即ち「洗礼者ヨハネの誕生祭」なのです。「証人/マルテュス」は法廷用語でしたが、紀元2世紀後半に迫害が激しくなると「殉教者」を意味するようになりました。未受洗者なのに、自分の家族や友人を助けようとして処刑された人たちが大勢いました。当時の教会は彼らを「自らの血によって洗礼せられた」と表現しています。行き掛かり上、連帯して自らの命を投げ出さざるを得なかった人たち、彼らもキリストの「証人」なのです。私たちは自らを光輝かせようとして磨きを掛けます。しかし、「証人」は、暗闇の中で傷付け合っている人々のために、光を指さすのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 20:59 | 毎週の講壇から