2015年06月29日

幸福な目、幸福な耳【ルカ10:21〜24

聖句「イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。『あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ。』」(10:23)

1.《福音》 「福音」を「フクオン」と発音した人がいて、私たちが何気なく使っている用語の特殊さに、改めて気付かされました。ギリシア語の「エウァンゲリオン」は「良い知らせ」です。漢訳聖書が「福音」と訳したのを「明治元訳聖書」が採用したのです。しかし、漢籍の教養のない日本人水夫が協力した「ギュツラフ聖書」では「タヨリヨロコビ」でした。英訳聖書には「福音/ゴスペル」という特殊用語を使わず、「良い知らせ/グッド・ニュース」と訳したものがあります。

2.《眼福》 辞書を引くと「珍奇なもの、貴重なもの、美しいもの等を見ることの出来た幸福」、もしくは「目の保養」と書いてあります。「目の保養」には「手に入らない」の含みもあります。際限のない欲望を自ら戒めているのかも知れません。他方、「福耳」はありますが「耳で聞く幸せ/耳福」という語はありません。しかし、音楽や小鳥の囀り、懐かしい人の声など、耳で感じる幸せも確かにあるのです。勿論、音色だけではなく、その内容も大切です。「福音」の場合には、むしろ、耳障りではなく、そのメッセージこそが「善きもの」なのです。

3.《御心》 「あなたがたの見ているものを見る目」等という言い回しが引っ掛かります。しかし、絡んで来るのは、そこにメッセージがあるからです。「あなたがたの見ているもの」とは「神の御子はどんな御方であったのか」ということです。これが「福音」の内容です。主は十字架に掛けられ、殺されたのですから、決して耳障りの良い話ではありません。むしろ、私たちが神について抱くイメージ(清浄さや厳かさや静粛さ強さ)は裏切られるのです。それは、主が「自分の意志ではなく、御心を行なう」ために生きられたからです。私たちが自らの思いを遂げようとするところに、本当の幸福は存在しないのではないでしょうか。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 16:45 | 毎週の講壇から