2015年11月12日

一点一画 one jot or one title その28

  • 「時間と空間のかなた」(A・E・ヴァン・ヴォークト著、沼沢洽治訳、創元SF文庫)
    知的宇宙生物エズオルと人類の攻防を描いた「第二の解決法」、宇宙植物アイビスが人類を滅亡させるのが「平和樹」、いずれもヴァン・ヴォークトの定番メニューです。貸し出し上映される度に、フィルムの中身が変質する「フィルム・ライブラリー」には、16ミリ映写機の懐かしい匂いを感じました。意外な拾い物は「永遠の秘密」です。ナチスドイツの興亡を、「ケンルーベ装置」という架空の発明品を通して描いて見せます。しかも、この作品、物語を報告書だけで構成するという実験作です。国家権力によって戦争目的のために利用される科学者が、見事に意趣返しを遂げる展開も心地良いです。「避難所」は「宇宙ヴァンパイア」ドリーグ人との絶望的な戦いを描いていますが、いつもながらのドンデン返しは流石です。ただ、私としては、少年のような美少女クラッグ人、パトリシア・アンガーンに、もう少し活躍して欲しかったです。
  • 「日本残酷物語1/貧しき人々のむれ」(宮本常一、山本周五郎、楫西光速、山代巴監修、平凡社)
    五社英雄の映画『御用金』で、幕府の御用金を運ぶ船を座礁させるトリック、あれは全国津々浦々の漁村で、日常的に使われていたのです。山村では、僅かばかりの開墾地を巡って、『七人の侍』のような流血の抗争が繰り広げられています。三浦哲郎の『おろおろ草紙』のネタに成った、天明の大飢饉における人肉食も取り上げられています。後半の「弱き者の世界」では、乞食の生涯、子どもの間引きと堕胎、姥捨て、女性忌避、過酷な炭鉱労働、遊女、からゆきさんの証言が語られていきます。それは、現代日本を象徴する課題であるはずの、貧困家庭とホームレス、幼児虐待と育児放棄、老人施設での暴力、性暴力、売買春と風俗産業の原点を見るようです。貧しさ故に、乳児を放置して農作業や炭鉱労働に従事しなければならず、働けなくなった老人たちは自らを役立たずと蔑み、死に急ぎます、つい50年か百年ほど前には、この貧困が日本の現実であったことを覚えたい。しかも、精神性においては、今も大して変わっていません。巻末には、今村昌平の『女衒/ZEGEN』のモデル、村岡伊平治の波瀾万丈物語もあります。日本の女性たちは、鎖国時代から拉致られて、中国や香港で性奴隷にされていたのですね。
  • 「カフカの『城』他三篇」(森泉岳士作、河出書房新社)
    カフカの『城』、漱石の『こころ』から「先生と私」、ポーの『盗まれた手紙』、ドストエフスキーの『鰐』が短編マンガと成って収録されています。観念的、寓話的、幻想的などと言われて、皆が敬遠する作品ばかりです。物語をなぞるのではなく、その作品の持つ雰囲気を抽出しているのです。あの長大な『城』が僅か16ページのマンガに化けるのですから、凄いと言わざるを得ません。でも、丘の上に建つ城の周りを、いつ終わるともなく巡り歩いているような「悪夢の香り」、『こころ』の朦朧とした感じ等よく出ています。墨汁で描かれた世界ですから、描かれていない余白こそが、この連作の最大の魅力かも知れません。
  • 「風立ちぬ/宮崎駿の妄想カムバック」(宮崎駿作、大日本絵画)
    とにかく全ては、堀越次郎設計の九単(三菱KA−14九試単座戦闘機)の美しい機体に奉げられているのです。九単は、後の九六艦戦(九六式艦上戦闘機)や零戦(零式艦上戦闘機)の原型に成る試作品。しかし、「逆ガル」の主翼が大変に美しいのです。「逆ガル」とは、「ガル」(カモメ)のM字形に見える主翼と逆に、W字形に成っている主翼のことです。結局、映画『風立ちぬ』も、この「逆ガル」を見て、ビリッと戦慄が走るかどうかで、作品の評価が分かれてしまうでしょう。因みに、私の息子たちは「映画を観ても何も感じなかった」「意味不明だった」と言います。そりゃあそうです。プラモデルも作ったことがないのですから。
  • 「ミス・ブロウディの青春」(ミュリエル・スパーク著、岡照雄訳、白水社)
    1967年に映画化されています。残念ながら私が覚えているのは、サンディを演じたパメラ・フランクリンが美術教師のヌードモデルになる場面だけです。但し、ロッド・マッケンの主題歌「ジーン」は大好きで、数年前のクリスマス会で披露したことがあります。原作は、実に苦み走った味わい。女子学園中等部のブロウディ先生は6人の生徒を選んで、彼女が信じる「エリート教育」を施します。女生徒たちは高等部に進んでも尚「ブロウディ組」として個性を発揮します。しかし、そんな「最良の時/the prime」も、やがて終わりを告げます。物語は20年後の時点から回顧されているのです。それこそは、彼女たちが成長した証なのですが、それでも彼女たちの「最良の時」はあの時代だったと認めざるを得ないのです。単なる郷愁や懐古趣味ではありません。多感な少女期に強烈な個性と溢れる情熱を持った人物と出会い、その影響を受けてしまうということは、それ程に喜ばしく、また同時に(一種のトラウマのような)苦々しい体験なのです。
posted by 行人坂教会 at 14:11 | 牧師の書斎から