2015年12月27日

未来史年表

1.ブレードランナー

師走の日の午後、昼ご飯を食べようと、牧師館に戻ると、高校生の長男は期末試験が終了して学校が早々と休みになったとかで、テレビの洋画劇場(テレビ東京「午後のロードショー」)を観ていました。その時、丁度、放映されていたのは、1982年の名作『ブレードランナー』(Blade Runner)でありました。

御存知ない人のために申し上げると、原作は、フィリップ・K・ディックが1968年に発表した『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』です。SF小説の体裁を取ってはいますが、人間存在の不確かさについて考察した実存小説です。それを娯楽映画に仕立て上げたのが、SFホラーの金字塔『エイリアン』、松田優作の遺作『ブラック・レイン』、『グラディエーター』や『ブラックホーク・ダウン』、近年では『エクソダス:神と王』を撮った、センス抜群のリドリー・スコット監督です。そして何より、この作品は工業デザイナー、シド・ミードの創造した未来社会の造形を見るための作品なのです。

物語は…、宇宙コロニーで過酷な労働を強いられていたレプリカント(人造人間)4体が反乱を起こして逃亡、地球に侵入したため、「ブレードランナー」と呼ばれる捜査官が、レプリカントを「見付け出して処分せよ」という指令を受けるというもの。

映画が始まると、時代設定が「2020年、ロサンゼルス」と成っているのを見て、長男が苦笑していました。私としては、その反応に非常なショックを受けたのです。そうです。2020年は「東京オリンピック&パラリンピック」開催の年で、決して遠い未来では無いのです。しかも、気付けば、最初に映画館で観てから33年、最後にVHSで観てから20年以上もの歳月が経過していたのです。

2.未来に追い付いた

振り返りみるに、例えば、1984年を迎えた時には、ジョージ・オーウェルの『1984年』を思い浮かべて、管理社会の恐怖を現実社会に当て嵌めようと努力しました。1999年を迎えた時には、終末感たっぷりに『ノストラダムスの大予言』を、2001年を迎えた時には、遠退くばかりの「宇宙時代」に『2001年宇宙の旅』を思い起こしました。私たちの生きている現実が、SF小説やSF映画の世界に追い付いてしまったように感じて、何やら言いようのない不安と共に、少し安堵したものです。

その他にも、既に「過去」と化してしまったSF未来年があります。取り敢えず、近年の出来事をご紹介しましょう。2000年は「セカンドインパクト」が起きた年でした(『新世紀エヴァンゲリオン』)。2003年は、天馬博士が交通事故死した我が子の飛雄(トビオ)に似せて「アトム」を発明した年でした(手塚治虫『鉄腕アトム』)。2008年は、第三次世界大戦が勃発、使用された超磁力兵器によって大陸が水没してしまう「大変動」の年でした(『未来少年コナン』)。2009年は「地球連邦軍」設立の年でした(『機動戦士ガンダム』)。2010年は、アレックス・マーフィ巡査が「オムニ社」によって「ロボコップ」に改造された年でした(『ロボコップ』)。2011年は、急激な天変地異により日本を除く陸地が全て水没した年でした(筒井康隆『日本以外全部沈没』)。

そして昨年、2015年は、謎の宇宙生命体「シト」が地球に襲来し、特務機関NERVの開発した人型汎用決戦兵器「エヴァンゲリオン」が迎撃した年であり、2016年は、遂に「人類補完計画」が発動され、全人類が滅亡した年でした(『新世紀エヴァンゲリオン』)。しかし、昨年の話題の中心は、1989年の映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』でした。主人公のマーティ・マクフライがタイムマシン「デロリアン」に乗って訪れた未来の年、それが丁度2015年の設定だったのです。そこで、映画の中に登場した未来ツールが「実現したか」「開発中か」等とテレビで採り上げられていました。

3.来たらざる未来に

最近のSF小説は、作家が小賢しくなったのか、遥か未来に設定したり、時代を特定しなかったり、異世界設定にしたりして、年代設定をボカす傾向がありますが、その点、アニメや映画は「もう過ぎちゃったじゃん」みたいなのがボロボロと出て来ます。要するに、設定されていた未来に、現代が追い付いてしまったのです。そして、アニメ世代の実感としては「案外、早く来ちゃったみたい」なのです。

「未来史/Future History」とは、SF作家が作品の背景として構築した未来の歴史です。勿論、想像の産物です。現実の歴史と抵触することを恐れて、大抵は「宇宙暦○○年」とか銘打って、空想の年代記を作り上げるのです。しかし、敢えて現実の歴史と繋ぐ危険を冒してまで、リアリティを高めようとする勇気ある作家たちも、ジャック・ロンドンやH・G・ウェルズの昔から存在しています。

その結果として、古典SFの描いていた時代が過ぎ去ってしまうことも多々あります。例えば、フレドリック・ブラウンの『発狂した宇宙』は1954年が舞台。ロバート・A・ハインラインの名作『夏への扉』は、主人公が1970年から2000〜2001年に時間旅行します。グレッグ・イーガンの『白熱光』の2008年も過ぎました。レイ・ブラッドベリの『火星年代記』に至っては、題名の通り、1999〜2026年の火星コロニー計画を描いた年代記(クロニクル)なのですが、後の改訂版では、作者が31年も繰り上げ改変する羽目に成ったのでした。でも、相変わらず、私たちにとって火星は遥か彼方のままです。

『来(きた)るべき世界』(Things to Come)と言えば、H・G・ウェルズですが、「来たらざる世界」(Things Do Not Come)も数多く存在する訳です。そして、明日が今日と同じように、必ず来るとは、誰にも断言することは出来ないのです。

牧師 朝日研一朗

【2016年1月の月報より】

posted by 行人坂教会 at 06:00 | ┣会報巻頭言など