2016年02月15日

真っ白な灰だけが残る【黙示録7:9〜17】

聖句「彼らは大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。」(7:14)

1.《白装束》 現在では「喪服」と言えば、誰でも黒を連想しますが、開国以前には白装束が多かったのです。棺桶の中の亡骸も、切腹する侍の死に装束も、神主や巫女もお遍路さんも白装束です。奈良時代には、天皇崩御に際して「素服」という染色されない素地の服を着ました。その源流は朝鮮半島にあり、韓国の葬儀では、現在でも白一色です。但し、慶事にも凶事にも、祝い事にも忌み事にも、白を着用しているのです。悲喜こもごも、私たちの人生そのものです。

2.《大苦難》 「衣」と訳される「ストラ」は、古代ギリシアやローマの普段着の総称です。9節を見ると、「白い衣を着た者たち」は身分、民族や国籍、言語を超えています。当然、それぞれ着ている衣装も異なっていたことでしょう。ただ共通するのは、キリストを信じて、その血に贖われ、「名誉、歓喜、勝利」の中に入れられたという点のみです。それが「白い衣」なのです。「黙示録」が執筆されたのは、ネロと並び称される暴君、ドミティアヌス帝の時代でした。大勢の人たちが故なく迫害を受け、不条理な苦難を味わったに違いありません。

3.《肌感覚》 日本画では白色を出すのに「胡粉」を使いますが、それこそが全ての色の基礎に成っているのです。日本の藍染では、原料の「すくも」と繊維との仲介をする材料として「真っ白に成るまでに燃やされた木の灰」が用いられます。「天国の青」に昇華されるためには、私たちの人生にも悲しみや痛みが必要なのかも知れません。但し、苦難が無意味ではないことを示す、キリストの十字架が信仰者には与えられているのです。パウロも「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ている」と言います。「肌感覚」として、イエスさまの存在を深く感じることが出来るはずです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 18:49 | 毎週の講壇から