2016年03月07日

一点一画 one jot or one title その30

  • 「ハリウッド黄金期の女優たち」(逢坂剛+南伸坊+三谷幸喜談、七つ森書館)
    何より驚いたのは、18歳のジュリー・アンドリュースのポートレート。映画『スター!』で、彼女がガートルード・ローレンスを演じた時、その娘役は当時16歳のジェニー・アガターでしたが、とても似ているので、今頃になって感心しました。私のベスト3は、『パンドラの箱』のルイーズ・ブルックスは別格として、歌手のレナ・ホーン、『巨星ジーグフェルド』のルイーゼ・ライナー、『タイムマシン』のイヴェット・ミミューです。宗教ネタを拾うと、修道院育ち(コンスタンス・ベネット、ルアナ・ウォルターズ、セシリア・パーカー、ドロシー・マクガイア、マリア・シェル)、カトリック寄宿学校出身(イヴ・アーデン)、カトリック神学校出身(マーガレット・リンゼイ)、修道女志望(グレイス・ムーア)と、今回はカトリック勢が多いです。聖歌隊出身(アイリーン・ダンとジャネット・ブレア)はプロテスタント教会でしょうかね。モルモン教の家庭に育ったフェイ・レイ、「エホバの証人」に入会して引退したジョイス・ホールデンが変り種か。ノーマ・シアラーとマーサ・ハイヤーは、映画プロデューサーと結婚した際に「ユダヤ教に改宗」とあり、ハリウッド映画がユダヤ人の産業だったことを思い出しました。
  • 「チェルノブイリの祈り/未来の物語」(スベトラーナ・アレクシェービッチ著、松本妙子訳、岩波現代文庫)
    巻頭のリュドミーラの証言、巻末のワレンチナの証言。いずれも新婚間も無い夫が消防士として、高所作業組立工として、事故直後のチェルノブイリで作業に当たっています。夫の帰還後に、彼女たちは絶望的で壮絶な看護(誇張ではない!)の果てに、夫の死に直面します。ある看護婦はリュドミーラに「ご主人は人間じゃないの、原子炉なのよ」と言います。ワレンチナは、夫が死んでも「熱いまま横たわっていた。軽くふれることもできなかったんです」と言います。そして、彼女たちの夫の遺体は放射性廃棄物として処理されるのです。これは魂を揺さぶる愛の物語です。チェルノブイリ原発事故という破滅的な大災害(人間が建造した施設ゆえ正確には人災)が、新婚夫婦を引き裂くのです。「解説」で、フォトジャーナリストの広河隆一が「リュドミーラの姿勢は、人間に力を与える。ある意味では聖書よりも仏典よりも深い勇気を与える」と述べています。その通りかも知れません。私たちにとっても、チェルノブイリは過去の事故ではありません。事故から30年、原子炉を封印していた「石棺」は今や崩壊しつつあるそうです。約20トンの核燃料が残ったままの「石棺が崩壊すれば1986年以上に恐ろしい結果になる」と預言されています。当時、事故で放出された放射能は、僅か6日で日本に到達したのですが、アレクシェービッチが本書を完成させるまで11年、日本で翻訳出版されるまで14年の歳月を経ています。そうして漸く語られ、届けられる世界があるのです。
  • 「巨匠とマルガリータ」上下巻(ミハイル・ブルガーコフ著、水野忠夫訳、岩波文庫)
    ハチャメチャで奇想天外で、滑稽でグロテスクで、センチメンタルでロマンチック。だけど、何か筋が一本通っているような小説です。それは、20世紀においても尚、救いを求める人間の魂、その真摯な努力の結晶であるからです。これは結局、ヒロイン、マルガリータと彼女が「巨匠」と呼ぶ不遇の作家、そして「巨匠」の小説の中に登場するヨシュアとピラトゥス、この4人の救済の物語なのでした。悪魔ヴォランドの一党の中では、巨大な黒猫のベゲモート(ベヘモト!)が出色。まるで『猫の恩返し』のデブ猫、ムタさんです。エプロン1つ身に付けて裸で給仕するヘルラも傑作。これって、日本のエロマンガかAVの世界ではありませんか。1940年のスターリン独裁政権下で執筆され、1973年の再評価まで33年間もの歳月を要したのも宜なる哉。「20世紀を代表する文学」とか言われると、身構えてしまいますが、少なくとも私は、夜毎楽しく読み続けることが出来ました。『運命の卵』と同じく、軽くホラーの味付けもあって、幻想文学ファンには十分に楽しめる内容になっています。魔女の箒に跨ってモスクワの夜空を滑空するマルガリータは、窮屈なソビエト体制から解放されて、妄想の世界に遊ぶブルガーコフ自身の魂なのでしょう。
  • 「シュトヘル/悪霊」第12巻(伊藤悠作、小学館)
    死んだ…と思っていた登場人物が、実は死んでいなかった、息を吹き返したというのは、シュトヘルに続いて、これ(ユルール)で二人目。そして現段階で既に三人目も予想されるのです。モンゴルの侵略と殺戮が日常茶飯事で繰り返される本作の世界観の中であれば、尚の事これは禁じ手です。主要人物だけが不死身というのでは、如何にもアンフェアな印象を受けます。作者が彼らの心身を切り刻むことになるのは、恐らく、その補償行為のようなものなのでしょう。
  • 「奥の部屋/ロバート・エイクマン短篇集」(R・エイクマン著、今本渉訳、ちくま庫)
    読んでいて、ふと「やおい」というマンガ用語を思い出しました。「ヤマなし、オチなし、イミなし」という意味ですが、エイクマンの短篇小説にも相通ずるものがあります。しかし、そんな作品群の中でも、突然に山場と思われる瞬間が巡って来るから凄いのです。例えば、表題作で、散歩中に湿地に迷い込んだヒロイン、レーネは、少女時代に母親に廃棄されたドールハウスそのままの邸に遭遇します(これは怖い!)。ベルギー象徴派絵画(文庫本の表紙もクノップフが使用されています)ファン必読の「恍惚」では、絵画愛好家が老婆に妖術をかけられたように身動き取れなくなってしまいます。「何と冷たい小さな君の手よ」では、エドマンドのもとに、電話だけで交流していた謎の女性、ネーラが迫って来ます。「学友」では、メルが入院中の女友だち、サリーのために彼女の古びた邸を訪れます。いずれも、ただならぬ気配を感じます。何か恐ろしい秘密があるようなのですが、主人公も読者も、その核心みたいな部分に辿り着くことが出来ず、宙ぶらりんのまま投げ出されてしまうのです。泉鏡花の言う「たそがれ時」の世界にも通じるかも知れません。
posted by 行人坂教会 at 11:26 | 牧師の書斎から