2016年03月27日

わたしが命のパン

1.ホットクロスバンズ

基本的に「ご飯は米が食べたい」私です。それでも、ごく稀にですが、妻の負担を軽減しようと思い立ち、帰宅時にパン屋を訪れることがあります。かつて足しげく通ったのは、目黒新橋の近所にあった「丸栄」でした。「丸栄」無き後は、白金教会の向かいにある「HOBS/ホーブス」です。こちらは夕方には閉まってしまいます。そこで仕方なく行くのが「アトレ目黒店」の「神戸屋キッチンエクスプレス」なのです。どうして「仕方なく」かと言えば、チェーン店の大量生産のくせに、異常に値段が高いからです。やはり、パン屋はレジの奥に、パン焼きの工房があるような店でなくてはいけません。

それはさて置き、「棕梠の主日」の前夜、取り敢えず、翌日の朝食用に家族のパンを買いに入ったのですが、棚を見てビックリ仰天、十字の飾りの入った丸いパン、「ホットクロスバンズ/hot cross buns」を売っているではありませんか。「幸運のイースターバンズ」と銘打ってあります。値段は「1個180円」と成っていました。他の陳列に目をやると、「うさぎのチェリーパイ」や「イースターエッグサンド」と銘打った商品もあり、イースターにあやかって新作パンを製作販売したようです(「うさぎ」ではなく「うなぎのパイ」なら、私も買ったかも知れません)。

2.信じる事と食べる事

その後、「神戸屋」のHPで調べてみると、「幸運を呼ぶ!イースターには欠かせないイギリス伝統のパンです。シナモンを加えたしっとりと柔らかい生地にレーズン・クランベリーを練り込みました。後を引く美味しさです」と宣伝文句が並んでいました。それにしても「ホットクロスバン」が「1個180円」は高いのでは無いでしょうか。

英国の童謡に「ホットクロスバンの歌」(マザーグース)があり、そこでは、このように歌われているようです。「焼き立て、ほかほかのホットクロスバンだよ/1つでも、いや、2つでも、たったの1ペニー」。現在1ポンドが133円だそうですから、その百分の1として、1ペンス1円です。つまり、ホットクロスバンズは2個で1円なのです。

勿論、「神戸屋」に、ホットクロスバンズを「2個1円で売れ!」等と言うのは、全くの冗談です。私が常日頃の鬱憤をブツけているだけ。かなり滅茶苦茶な要求です。いや、実際「神戸屋」のパンにしては安いのです。そして、私は全く知りませんでしたが、「神戸屋」は何年も前から、コンビニやスーパーに卸す菓子パンとして「クロスバンズ」を売っていたのです。こちらの価格は88円でした。

イースターの前の金曜日、私たちは「受難日」と呼び、英語では「Good Friday/聖金曜日」と言いますが、クロスバンズは元々、この日に焼いて食べる習慣だったようです。レント(受難節)の始まる「灰の水曜日」の前日「懺悔の火曜日/Shrove Tuesday」が、いつの間にか「パンケーキの日/Pancake Tuesday」「パンケーキを焼く日」に成ってしまったのと同じような感じです。一見、不謹慎のような気もしますが、どこか大らかです。信仰生活が食生活に直結していて、庶民の暮らしに息づいているように思います。これを「信仰の土着化」と言うのでしょうか。その点については、日本のキリスト教の牧師としては、少しだけ羨ましくも感じるのです。

テレビ等のメディアは勿論の事、作家やエッセイスト、素人のHPやブログまで競って、西欧の食品や食文化を盛んに紹介しています。一昔前には誰も知らなかった「ホットクロスバンズ」の他、西欧各国のイースター料理なども逐一レポートされるようになり、新しがり屋の中には早速、現地に行って食べてみる人、自宅で作ってみる人も増えています。しかし、余りにも表面的では無いでしょうか。

私たちは日本人のクリスチャンとして、むしろ、日本の伝統食材、日常の食材を使った、自らの「レント料理」「イースター料理」、そして「クリスマス料理」を創作するべきではありませんか。今は亡き料理研究家の小林カツ代さん(日本基督教団ひばりが丘教会の会員でした)には、是非とも、そういうアプローチをして欲しかったのですが…。

3.共に食べて信じる者

イエスさまは「わたしが命のパンである」(ヨハネによる福音書6章35節)と宣言されました。「主の晩餐」では「取りなさい。これは私の体である」と言って、パンを裂いて弟子たちに与えられました(マルコによる福音書14章22節)。

いや、よく考えてみたら、パンだけではありません。「神の小羊」(ヨハネ1章39節)等という表現を聞いても、私たちは、英国アードマンアニメの「ひつじのショーン」「こひつじのティミー」、ディズニーの「こひつじのダニー」、サンリオの「ピアノちゃん」、ベネッセの「しまじろう」の「らむりん」と、可愛い羊キャラしか連想できません。しかし、羊肉を日常的に食べている中東の人たちにとっては、「小羊」もまた「食べ物」としてイメージされたのでは無いでしょうか。つまり、生きることは食べることと、食べることは信ずることと一直線に繋がっているのです。

そう言えば、聖餐用のパン(ローマカトリック教会では「御聖体」と言う)を、イタリア語では「il pane degli angeli/天使たちのパン(糧)」と呼ぶことがあります。キリスト信者は「天上の食糧」のお裾分けに与っているという訳です。斯くして、キリスト教は「食べて信じる宗教だったのだなあ」と、改めて思わされるのです。

どうして、わざわざ、イエスさまは復活の後、弟子たちと一緒にパンや魚をお食べになったのでしょうか。言うまでもありません。「命のパン」に与ることで天と地とが、共に食べることで兄弟姉妹が結ばれる、信仰の紐帯、それが「キリストの体なる教会」だからです。

牧師 朝日研一朗

【2016年4月の月報より】

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