2016年04月18日

心はふしぎな所【申命記6:4〜9】

聖句「我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(6:4,5)

1.《三つの心》 戦国時代に来日し、イエズス会の通訳として、秀吉や家康とも深い親交のあったロドリゲスは、「日本人は3つの心を持っている」と書き残しています。口にある偽りの心(建前)、胸に秘めて友人だけに見せる心(本音)、更に終生、誰にも明かさない深く秘めた心です。下克上の戦国乱世だけに、本音と建前との乖離は凄まじかったと思います。しかし、「3つの心」を持って使い分けているのは古今東西、同じではないのでしょうか。

2.《三つの座》 旧約聖書も人間の「3つの心」を言います。「内臓、腸/ケラーバイーム」は感情や性格の座です。「詩編」103編1節の「私の内にあるもの」と訳されているのは「私の内臓」です。お母さんが自分のお腹を痛めて、我が子を産むように「思いの丈」が宿っているのです。「胸/レーブ」は理知や意志の宿る座で、まさに、日本語の「旨」に通じます。「魂」と訳されることの多い「ネフェシュ」は活力と命ですが、「喉」という意味です。面白いことに、旧約聖書の身体イメージでは、心は腹と胸と喉とにあるのです。

3.《唯一の主》 「心/レーブ」と「魂/ネフェシュ」と「力/メオード」を尽くして…と言われています。「力」は「腹」に宿るのです。私見ですが、胸と喉と腹で主を愛するのです。そもそも、愛するとは、自分の身体をフル活用することなのです。そう考えると「主は唯一」という教えも、「唯一神教の押し付け」ではなくて、「あなたは、私のたった一人の大切な人」という愛情告白なのです。あなたの子や孫は一人っ子でなくても、一人一人が掛け替えが無い大切な存在でしょう。水野源三が「心はふしぎな所」という詩を書いています。主の御手に触れて、信仰と愛と希望と喜びが与えられるのです。

朝日研一朗牧師

posted by 行人坂教会 at 17:51 | 毎週の講壇から